2014年08月29日

ようこそ!モディ首相!(^-^)/

インドのモディ首相が、いよいよ明日来日する。

滞在期間はなんと5日間目

しかも、当初の予定を前倒しして来日されるとのこと。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140825/asi14082521270005-n1.htm

これだけ長い期間滞在するということは、それだけ日本を重要視しているという証左に他ならない。


アジアには日本を心から必要としている国が沢山ある。


メディアでは殊更、支那(China)や韓国(Korea)の声(の一部の映像を切り取って)、
さも、アジアを代表している声のように(意図的に)取り上げる傾向があるけれど、

特定の2つの国だけがアジアを代表する国ではないことを私たちは認識する必要がある。


インドとは間違いなく未来思考の関係構築が出来るだろう。

これからの展開がとても楽しみでならない。



下記はモディ首相のご本人のTwitter記事(tweet)。





こうした配慮(おもてなしに応える心遣い)。

人柄が良くあらわれている揺れるハート

両国のみならず、世界にとって実り多き会談、そして、滞在となりますようにぴかぴか(新しい)

posted by 久野晋作 at 07:00| 千葉 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月27日

やっと…。【新木駅の自由通路整備】JR東日本と工事施行協定を締結

地元新木地区の住民の悲願であった「新木駅のバリアフリー化」に向けたJRとの施行協定が締結されたとの報告が下記のとおりありました。

【我孫子市ホームページより】
市は、平成26年8月12日、東日本旅客鉄道(株)千葉支社と新木駅・自由通路の整備に係る施行協定書を締結しました。自由通路に、エレベーター・エスカレーター、多機能トイレが整備(バリアフリー化)され、高齢者やお子様連れの方など誰もが安全・安心してご利用できます。
http://www.city.abiko.chiba.jp/index.cfm/18,137167,12,17,html

これで、やっと具体的な工事に入る事に成ります。

工事期間は、【平成26年8月〜平成29年3月(予定)】とのことで、当初(と言っても平成20年度頃と、かなり以前の事になりますが…)に予定されていた完成時期(平成23年度)より、相当遅れが生じてしまいましたが、やっと具体的なゴールが見えて来ました。

ホッとする気持の一方で、建設業界における資材の高騰や人手不足が巷間を賑わせていることもあり、まだ一抹の不安は隠せないのも正直な所です。またこの間、バリアフリー化の話が持ち上がる度に、市の財政状況・現在の橋脚の構造問題・JR東日本との交渉が難航…と、幾度となく工期が延びたこともあり「予断は許さない」とも感じています。


地元以外の方からすれば、「たかがバリアフリー工事…」と、思われるかもしれません。
しかし、市内駅のバリアフリー化が始まってから一体何年経つかご存知でしょうか?

10年などという期間では全く効かないのです。


当たり前に利便性を享受している地域が有る一方で、新木駅に関しては、唯一、駅のバリアフリー化の為に署名活動まで行い、現在もなお住民有志の手により活動が続けられています。どれだけ地元の住民が当たり前の整備を望み、自ら汗を流しながら待ち続けているのかを是非知って頂ければ幸いです。



ちなみに、私は地元の地域に住まう議員だったこともあり、

「エレベーターが付く前に死んじゃうよ」

と、冗談半分、本気半分で何人の人に言われたことか判りません。


実際、新木地区は市内においても高齢化率が一二を争う地域でもある事から、バリアフリー化の実現を見ずにお亡くなりになった方も少なくないのです。整備を楽しみに待ち焦がれて来た住民(特にご高齢の方)にとって、これから3年弱という月日も決して短くはありません。


「バリアフリー化にかけるおカネがあるなら他に回すべき」との意見をされる方がいらっしゃった(いらっしゃる)ことも事実です。右肩上がりの時代では無く、財政的に厳しい選択を強いられている中においては、そうした意見を否定はしません。

しかし、市内における他の橋上タイプの全ての駅が平成18年度までにバリアフリー化(最後は湖北駅北口)していることから考えれば、明らかに不公平な状況に置かれ続けていることをご理解いただきたいのです。

 ○杖をつき手すりにしがみ付きながら必死に階段を登っていくご高齢の方。
 ○ベビーカーを片手に担いで、子供の手を引きながら登る若いお母さん。
 ○空港に向かうため大きなトランクケースを汗かき汗かき引き挙げて行く方々…。


こうした姿を沢山見て来た私は、可能な限り荷上げなどのお手伝いをさせていただきましたが、幾らなんでも、それはないでしょう?と、堪えて来ました。

フィクションではありません。

今も、こうした光景が日常的にあるのです。



私は、地元の議員としてということではなく、全市を代表する立場にある議員として、こうした不公平な状況は許されるべき問題ではないと考えていたこともあり、議会内外に於いて、様々な働きかけをしてきました。

議事録を拝見して頂ければ、その一端はご理解いただけるかと思うのですが、長年設置されなかったコトからか、「市長に反対ばかりしている(?)から駄目なんだ」などと誹謗中傷めいた、訳のわからない批判を受けたことも少なくありません。

終いには「あなたは動かなくて良い」と、吐き捨てられるように言われたこともありました。

今では笑い話に出来ますが、忘れられない苦い思い出です。

それでも、やっと陽の目を見る目途が明確に立ったことは本当に何よりでしたぴかぴか(新しい)


自由通路整備に当たっての交渉には、歴代の市長や副市長(助役)は元より、多くの職員さんがお骨折り頂きました。担当課の職員の方には、何度も何度も掛け合いヒアリングや要望をお伝えして来ましたので、さぞや鬱陶しい限りだったと思いますが、この場をお借りして厚くお礼申しあげます。色々と難しい交渉が有った事と思いますが、本当に有難うございました。

完成の暁には、地域の方と悦びを分かち合い大切に利用させて頂きたいと思っていますわーい(嬉しい顔)

※「新木駅」を検索ワードにした過去のブログ記事です。よろしかったらご覧ください。


posted by 久野晋作 at 07:00| 千葉 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

松戸市も指定廃棄物(汚染焼却灰)の持ち返り費用を9月議会補正予算に計上

昨日のブログで指定廃棄物の撤去に向けた動き〜柏市が9月議会に補正予算を計上か?〜との記事をアップ致しましたが、先ほど、松戸市においても、「指定廃棄物(汚染焼却灰)の持ち返り費用を9月議会補正予算に計上」するとの千葉日報のwb記事を確認しました。





恐らく、本日の朝刊各紙でも取り上げる新聞社もあろうかと思います。日経の記事は、非常に丁寧に追っている記事です。会員登録していないと全ての内容は読めませんが、機会があれば是非、ご覧いただきたいと思います。


▼あれから早3年
〜この間、何も起こらなかったのは単なる奇跡であり「幸運」に過ぎない〜

一時保管施設の設置の発端は、3年前の平成23年のちょうど今頃でした。

当時議員という立場でしたが、意思決定機関である議会に対して下記の内容は一切伝えられていませんでした。

平成23年8月31日
4市1組合で千葉県知事及び東京電力に一時保管場所の確保を要望
・出席者:我孫子市長、流山市長、松戸市副市長、柏市副市長、印西地区環境整備事業組合副管理者(白井市長)
一時保管施設建設までの経過


当時、市民は元より議会に対しても秘密裏に事を進められていました。議会に知らされたのは、我孫子市(行政)として、思惑が外れてまさかの展開となり、どうにもならなくなった12月のになってから…。暮も押し迫った12月21日。12月議会も終局に向かう中でした(ご参照:2011/12/21の拙ブログ「手賀沼終末処理場が放射能物質を含む焼却灰最終処分の【一時保管場所の候補地】になっている件について」


▼脆弱なテント倉庫、そして、地盤。危機管理が極めて不十分な一時保管施設。

あれから丸3年の月日が経ちましたが、未だに処分場の目途は立っていません。そうこうしている間も、風水害の危険性を多分にはらんでいる場所と地盤の上に、しかも、脆弱な管理状況(テント施設)の中で1年9カ月もの間、一時保管され続けています。

異常気象が全国各地であちらこちらで発生する中、風水害の被害が無い事は不幸中の幸いに過ぎず、施設設置場所としての適格性や施設自体の堅牢さを証明するものでは一切ありません。想定を超える風水害(特に懸念されるのは竜巻や猛烈な風雨を伴う台風)が当該施設を直撃するようなことがあれば、どうなってしまうのか?は推して図るべきことです。

なぜならば、テント倉庫は「風速30mを超える風に見舞われるとテントの被膜が破れる」ことが予め計算されているからに他なりません。そのような管理状態を「問題ない(適切である)」としている千葉県の姿勢には呆れるばかりか憤りを禁じ得ず、私たち有志の市民は、権利の確保のための最終手段として「調停→裁判」と実力行使に踏み切らざるを得なかったのです(ご参照:「提訴に至る経過等について」)。

千葉県と搬入3市(柏・流山・松戸)との間で一方的に締結された保管期限(撤去期限)は平成27年末ですが、何だかんだと言い訳を付けて保管延長をさせないということは元よりとして、最低限の義務の履行を当然のこととして果たしてもらうべく、引き続き確りと注視すると共に、一刻も早く撤去して貰うべく働きかけを行って行く次第です。


▼不要不急の税金の投下という指摘に対して、果たして正当な理由を述べられるのか?

ちなみに、3市とも自らの地域ではこれ以上保管することは出来ないという理由で、終末処理場内に千葉県が強引に(違法で)設置した一時保管施設に運び入れて来た訳ですが、結果的にであったとしても3市引き取ると云う事は、「自らの地域で保管する余地があった」ということの証左に他なりません。

このことは何を意味するのか?

不要不急の税金が投下されたと云う事です。

最終的には国からの補助金を充て込んでいるものと思いますが、「一時保管施設設置に関する全ての費用(千葉県が支出)」「各市の往復の運搬費」は、持ち込みさえしなければ必要無かったのです。


住民監査請求の対象に十分成り得る問題だと私は捉えています。


▼ならぬものはならぬ

私はイデオロギー的な問題として活動している訳ではありません。
ましてや、政治的な狙いをもって活動している訳でもありません。


当該地域の住民の一人として、千葉県、そして搬入3市の一連の不条理な判断と行動が許せないのです。

十分な説明すらなく、しかも、不適格な場所に、かつ不十分な管理状態で、極々近隣の自治体に、
(結果的に)自らの地域で発生した指定廃棄物を、半ば強引に押し付けてきたことが許せないのです。

私は、「ならぬものはならぬ」というスタンス(信念)で活動しています。
それが私の行動規範です。

皆さんのご理解とご協力を是非ともお願い致します。

手賀沼下水道終末処理場 指定廃棄物一時保管問題の是正に向けて
〜広域近隣住民連合会webサイト〜

http://hokan-zesei.jimdo.com/
posted by 久野晋作 at 01:06| 千葉 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月09日

あれから69年。無辜(むこ)の民の命と未来を奪った一発の原爆。

無辜(むこ)の民の命と未来を奪った一発の原爆。

色々な想いが込み上げて涙が止まらない。




アメリカが長崎に原爆を落としてから69年。知らされていなかったコトが余りにも多過ぎます。

http://t.co/Ae28chD3Nf


事実を確りと直視する。そこから出発し直す事こそ、我々が正しい未来を掴み取り、子孫に明るい豊かな誇りある未来を繋ぎ得る道だと確信すると共に、先人の無念を受け継ぎ子孫に勇気と誇りを与える生き様を残すことを改めて誓う次第です。

posted by 久野晋作 at 11:53| 千葉 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月30日

【美濃加茂市長 藤井浩人さんの早期釈放を求める署名】にご協力お願い致します!

【美濃加茂市長 藤井浩人さんの早期釈放を求める署名】にご協力お願い致します!

既にご存知の方も少なくないと存じますが、美濃加茂市長を務める全国最年少市長である藤井浩人さんが「浄水設備の導入をめぐる事前収賄の容疑」などで逮捕されました。

私は、彼の身の潔白を信じて疑いませんが、報道機関等から漏れ伝わる内容には「きな臭さ」そして「悪意」すら感じます。贈賄側だけの供述や状況証拠?による「推測の域を出ない決めつけ」と「印象付け」に徹しています。何より「逮捕=有罪確定」という報道姿勢および一部の国民意識が許せません。

日本には推定無罪という考え方はないのでしょうか?


言うまでもなく、未だに、誤認逮捕は後を絶ちません。

それに合わせて、報道の自由と言う大義名分を掲げ、商業主義にひた走る倫理観なき報道機関により、致命的な情報操作をされ、負の印象を形成され、世の中から意図的に抹殺されてしまうものも少なくありません。

私自身、昨夏の参院選公認取消の際、裏取り調査など全くないまま「推測や伝聞レベルにより、取消理由を並びたてられた」御蔭で、未だにマイナスのイメージが拭えない部分が残って居ます。

一度擦り込まれたマイナスのイメージを払しょくするのに、「一体どれだけの労力が掛かるのか?」「一体どれだけ取り返しのつかない愚かな行為をしているのか?」という感覚が(職業倫理意識の高い一部の方を除き)彼らにはないのでしょう。

報道機関は、警察からの発表をただ単に垂れ流し、後はどうなっても知らぬ存ぜぬです。謝罪文などありませんし、訂正記事など打つ気もないのです。

容疑者等に対して舌鋒鋭く詰問する彼等ですが、自分たちのミスは中々認めようとしません。万が一、あったとしても、本当に小さな小さな枠の中です。誰もその存在に気付きません。


贈賄側の証言や状況証拠だけを基にして有罪に仕立て上げられたらとても適いませんし、(政敵を潰さんがために)同じような事例をつくることが、いとも容易くなってしまいます。

皆さんが、同じような形で嵌められたとしたら、どうしますか?


ちなみに、「だから若いやつは駄目なんだ」などという、意味のわからないコメントすら出ています。本人の事も、事実も、何一つ知らないのにもかかわらず、そうした言葉を使うことは断じて許せません(どこかの党の国会議員は、「断罪」していましたが、論外です)。


私たちは、曲がった事が大嫌いです。断じて許せません。

世の中に、完璧な人間が居るとは思っていませんが、誠実に真っ直ぐに生きているものを殺め貶めるような不条理を許しておくわけには行きません。

御賛同いただける方は、是非、署名にご協力お願い致します。
合わせまして、拡散にご協力頂ければ幸いです。


皆さんのお力をどうかお貸し下さい!

posted by 久野晋作 at 16:13| 千葉 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月18日

明日に向かって…


明日に向かって…印刷!

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そして…折りたたみ勝ち誇り


夜更かしが過ぎる今日この頃ですが


新たな挑戦、始めますダッシュ


posted by 久野晋作 at 23:31| 千葉 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月15日

沖縄返還の日、そして、あれから一年。

1972年(昭和47年)沖縄の施政権がアメリカ合衆国から日本に返還されて本日で42年経ちます。

集団的自衛権行使に関する報道も相まって、メディアでは大々的に取り上げられませんでしたが、本来、国民の祝日にすべき位の日だと思います。

私は、沖縄返還の年に生まれましたので42歳になりますが、未だに米軍が沖縄をはじめとして全国各地に基地を展開し、首都の上空など領空までをも管制している状況が一向に変わらず、「自立した国家として本来あるべき形」にはなっていません。

先人達の無念を受け継ぎ、子孫に責任ある国家を繋いでいく為に、何としてでも、この歪な状態を変えて行きたいと思っていますが、「何故、未だにこうなってしまっているのか?」「本当にこのままで良いのか?」について、私たちは良く良く考えて行かなければなりません。

沖縄が本土に復帰したことを心から祝うと共に、その沖縄が置かれている現状について、そして、我が国の来し方行く末について、もっともっと真剣に考えて行かねばなりません。

その意味でも、正に国民の祝日にするに相応しい日ではないかと思います。

憲法を守れば全てが大丈夫なのだという思考停止状態、また、憲法を改正すると戦争ができる国に成るというヒステリックかつ飛躍した議論に終始するのではなく、好い加減に現実と未来を見据えた議論をして行かねばならないと思います。


ちなみに、昨年の5月15日は私にとって屈辱の日でもあり、生涯忘れられない日でもあります。

そうした意味も含めて、今日も明日も明後日も、「本来あるべき正しい姿・社会・国家」を取戻すべく、歯を食いしばり、眼差しは真っ直ぐに前を見つめ、捲土重来を期して頑張って行くと決意を新たにした所です。

引き続きご指導ご鞭撻のほど、何卒宜しくお願い致します。

平成26年5月15日
久野晋作


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posted by 久野晋作 at 23:59| 千葉 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年05月03日

憲法とは何ぞや? …井上毅が憲法に懸けた想いとは…

自主憲法とは何ぞや。と言うことがよく分かります。
そこに懸けた想いの深さも尊さも。

本来、自国の憲法には、こうした先人たちの精神や想い、そして国柄や歴史を確りと反映させ、受け継ぎ繋いでゆかねばなりません。果たして、「現行憲法」の成り立ち、そして、中身はどうか?

断絶され奪われたものは必ず取り返す。

子孫に繋がなければならないことは必ず繋げる。

当たり前のことを当たり前に明記し実現する。

このことに気付いてから、私にとって今日はそのことを誓う祈念日です。
その意味で国旗を掲揚します。

致知出版社
★『致知』が贈る「憲法記念日」特別配信★ 
「明治憲法制定に命を懸けた男」
……………………………………… 

 本日は憲法記念日です。
 
 日本国憲法を語る時、その比較
 対象としてよく挙げられるのが
 明治憲法です。
 
 そこで本日は明治憲法制定に
 命を懸けた男、井上毅の感動物語を
 特別配信させていただきます。
……………………………………… 

 幕末に熊本藩に生まれた井上毅は
 藩校で儒教を学び、維新後は
 フランス語を学び、
 明治5年にはフランスへ渡り、
 西洋の法制度を学ぶという経歴を経、
 法制官僚としての階段を上り詰めて
 おりました。

 しかし、井上には専門的に国史国典を
 学んだという経歴がありませんでした。
 その井上が、この『大政起要』の編纂に
 関わることになったのを機に、
 国史国典の勉強をやり始めたのです。

 直接的な当時の資料はあまり残されて
 おりませんが、井上がこの国史国典を
 どのように考えていたかを推測させて
 くれる記録が残されています。

 明治16年か17年の頃、
 皇典研究所という所で
 井上が講演をした時の記録です。
 ちなみにここで皇典とか国典とか
 いうのは『古事記』『日本書紀』の
 ことです。
 ここで井上はまず次のように
 述べています。

「政事の為めに国典を講究することは、
 政治上隨一の必要である。
 何んとなれば、海の東西を問はず、
 総ての国が其の憲法及び百般の政治に
 就いては、其の淵源基礎を己れの本国の
 歴史典籍に取らぬ国は無い。
 国の歴史上の沿革及故典慣例は、
 其の憲法并に政治の源である」

『古事記』『日本書紀』を研究することは
 非常に大切なことである。
 この国に生まれたあらゆる人間が
 学ぶべきことであるといっても
 いいだろう。

 洋の東西を問わず、
 憲法や政治百般について、
 その基礎を自らの国の歴史の典籍に
 とらない国はない。
 その国の歴史、それを記した古典、
 慣例こそ、その国の憲法並びに
 政治の源である。
 そこを押さえねば憲法は考えることが
 できないし、政治もできはしない、と。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 ドイツから帰国した翌年、伊藤博文は
 憲法準備のために制度取調局を設置し、
 井上毅を含む15名が同局兼任
 となりました。

 井上はさらに憲法草案に向けての研究を
 進めます。
 相変わらず直接的な資料があるわけでは
 ありませんが、同時に井上は日本の歴史、 
 とりわけ皇室の歴史を徹底的に
 学び始めたと思われます。

 井上は当時、東京帝国大学で国史を
 教えていた小中村清矩の教えを
 受けるとともに、小中村の婿養子である
 池辺義象を助手にして
『古事記』『日本書紀』や『大日本史』などの
 日本の歴史書を徹底的に勉強して
 いきました。

 明治19年に池辺が
 東京大学古典講習科を卒業すると、
 池辺は宮内省図書寮に
 採用されます。
 当時、井上は同省図書頭も兼務して
 おりました。
 池辺がその当時のことを
 次のように記しています。

「19年の夏、この学科を卒業して
 大学をいで、やがて宮内省図書寮の
 属官を拝命しぬ。
 
 この時、先生はこの寮の頭にて
 おはしながら、かの帝国憲法、
 皇室典範の制定に従事したまひしかば、
 寸時も暇あらせたまはず、
 朝はまだほのくらきより起きいでて、
 夜は更るまでこの事にのみ
 かがづらひたまひき。
 その任用したまふ人おほき中にも、
 おのれには我国の典故を悉取調べさせ
 たまへり。

 さればおのれは、官省時間の外は
 先生の家にのみ籠り居、
 常にその監督の下にありて、
 その料をかきつづりしこと
 いくばくなりしぞ」

 この頃からそんな無理がたたってか、
 井上は病気がちでした。
 池辺はそんな井上の健康を心配し、
 気分転換をかね、明治19年の暮れから
 翌年にかけ、井上を安房、房総、相模を
 巡る旅に連れ出します。

 ところが、井上はどこへ行こうと、
 昼食の席でさえ書類を手から離そう
 とはしません。
 そして思いついたことをすぐに筆で
 書き留めようとするのでした。
 その凄まじさには拙著
『教育勅語の真実』でも触れていますが、
 ここでも重複をいとわず紹介して
 おきましょう。

 あるとき千葉の鹿野山に登ることに
 なりました。
 井上は片手に杖を持ち、
 もう一方の手にはいつものように
 書類を握りしめて歩いていました。
 山は12月の冷たい風が吹き、
 手が凍るように冷たくなります。
 ようやく井上は書類を鞄にしまいました。

 横を歩いていた池辺は、
「ようやく歩くことに専念していただける」
 とほっとするのですが、
 それもつかの間、井上はこういいました。

「ところで、大国主神の国譲り≠フ
 故事はどういうことだったろうか」と。

 あるいは鎌倉に行ったときのことです。
 その日は雪が降り、
 風も強くなっていました。
 井上は歩きながらいつものように、

「大宝律令にはどんな話が書いてあった
 だろうか」
 と質問します。

 池辺が
「あいにくここには原文がありません。
 私の記憶だけでは正確に答えられません」 
 というと、

「いますぐに確かめたい。
 帰京予定は明日になっているが、
 それを一日早め、これから出発すれば、
 今日中には東京に帰ることができる」
 と、突然雪が降りしきるあぜ道を
 駆け出したというのです。

 そのようにして藤沢まで行き、
 そこで人力車を雇って横浜へ。
 さらに汽車に乗り継いで、
 その日のうちに東京に戻ったといいます。
 
 私はこの池辺の文を読んだとき、
 ここまでして井上は日本の歴史の
 核となるものをつかもうとしたのかと、
 思わず涙がこみ上げてくる思いでした…

………………………………………………        
 
 伊藤哲夫
(日本政策研究センター代表)                

「明治憲法の真実」 (小社刊)より

<目次>
序章 明治憲法最後の日
第一章 五箇条の御誓文から始まった明治憲法
第二章 いかなる憲法をつくるか
第三章 明治憲法成立
最終章 日本国憲法を考える

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posted by 久野晋作 at 09:08| 千葉 🌁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月29日

国家の記念日。我が家も記念日。

おはようございます顔1(うれしいカオ) 今日は昭和天皇のご生誕の日を記念した昭和の日です。国民の祝日に関する法律では「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」と、されています。

昭和天皇の崩御後、一時期「みどりの日」となりましたが、幸いにして復活。先日、「山の日」なる祝日が制定されましたが、国家としての祝日(記念日)とは何を意味するのか?をよく考えなければなりませんね。

私ことで大変恐縮ですが、今日は我が家の結婚記念日でもありますにこにこ 香取神宮で挙式をしてお陰様で8年目に入ります。子供にも恵まれ、毎日楽しく賑やかに暮らせていることを心から感謝しています。

風薫る爽やかな季節。裏の田んぼも田植えが始まり、夜は蛙かえるの大合唱が始まっていますメロディ

今日も一日、幸多き日となりますように。
posted by 久野晋作 at 09:55| 千葉 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月24日

未来に貢献する人材、そして、国家。

今朝は天王台駅頭での報告からスタート。
終了後、ガスト我孫子店で軽目の朝食をいただきました。

礼を失する異例づくめの対応、そして、日米首脳会談が非常に気になりました。

対等な同盟関係であるならば…。
言うべきは確りと主張し、譲ってはならぬことは絶対に譲って欲しくない。

そう強く願い、信じ。一国民として、政治に志を立てた身として、明るい未来を信じて、今出来ること、しなければならぬことに注力しました。


以下は、ガストの朝食にセット?の読売新聞の企画です。

その名も「未来貢献プロジェクト」

非常に興味深い内容ですねわーい(嬉しい顔)

今の自分があるのは、「両親、祖父祖母、…」と、連綿とした繋がり有ってのもの。
与えて頂いた命を最大に活かすこと。言い換えれば、未来に貢献するものとすること。

ちょっと大仰なことかもしれませんが、こうした意識の有無は非常に大きな差に成りますね。

個人としても、社会としても、国家としても。

我が国は世界に貢献する力のある国だと私は心から確信しています。

今の私に出来る事は、本当に些細なことかもしれないけれど、
一歩一歩着実に前に進んで行きたいと思います。


image.jpgこういう企画。イイですね
元気が出るにこにこ

未来に貢献し続けるパワフルなおじさん目指して頑張ります

さぁスタートだマラソンダッシュ

〜讀賣新聞の中面です〜
http://www.yomiuri.co.jp/contents/yol/project/mirai



posted by 久野晋作 at 23:32| 千葉 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月23日

私の癒し。

今日の一枚カメラ 


思い掛けず、一面に咲いていた菜の花。

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菜の花は、千葉県の県花ですが、

黄色は幸せの色ということで、とっても元気が出ますね。


花鳥風月。本当に癒されますにこにこ


思い掛けず聴こえてくるウグイスの鳴き声に感動したり…。


歳をとったということかな…顔1(うれしいカオ)あせあせ(飛び散る汗)


いやいや、まだまだ(笑)

明日も元気に頑張るぞ〜顔1(うれしいカオ)!

posted by 久野晋作 at 23:29| 千葉 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年04月21日

守りに入らない。

昨日、後厄を迎えさせていただきました。
帰宅後、家族にお祝いして貰いましたにこにこ
いくつに成っても有難いことですね泣き笑い

また、Facebookのメッセンジャーにて沢山の方からお祝いのメッセージをいただき、恐縮の限りでした。


後厄として迎える1年ですが、守りに入らず頑張ります。

不器用は不器用なりに。
愚直に。ひたむきに。


今の私に出来ることには限りがありますが、

明日に向かって、打つべしパンチ打つべしパンチ打つべしパンチ
(byあしたのジョー)

の心意気で臨む所存です。


引き続きご支援のほど、よろしくお願い致しますにこにこ

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posted by 久野晋作 at 22:26| 千葉 ☔| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月28日

行政書士としての活動について

政治活動と合わせて行っている行政書士業務。

お陰様で市民法務の相談をいただく機会が少しずつ増えて来ました。報酬をいただけるものばかりではありませんが、本来の生業である「行政書士として」仕事をご依頼・ご相談いただき有難く感じています。

当然ながら、どのような案件にせよ相談者の人生に対する責任が生じます。行政書士業は「代書屋」と、一括りにされる方もいらっしゃいます。受任案件のレベルの高低は各々の考え方だと思いますが、扱う業務領域は幅広く、一つ一つの案件が唯一無二の権利義務を預かる案件に付き、政治活動とは違う責任感と緊張感を覚える業務です。

依頼者の想いを具現化し、確りと形にしていく大切な仕事だと感じています。

人生いろいろ、仕事もいろいろ。全く同じ案件が舞込む事はありません。

人の役に立つ仕事がしたい。

自分名前と顔(=信頼)で仕事を依頼されるような仕事がしたい。

この想いを強く抱き、一念発起して脱サラし資格を取り、開業した当時のことが昨日のように思い出されます。

経験して初めて判る事の多さ(不勉強さ)と人生の重みを痛感しています。政治活動との両立には時間的な兼ね合いで難しい部分も生じていますが、懇切丁寧をモットーとし、誠実に業務に臨ませていただいています。

なお、本日午後から県庁そばにある千葉県教育会館にて連続講座の最終会・契約業務研修に参加します。確り学び、依頼者の期待に応えられるように資質を高めたいと思いますにこにこ


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posted by 久野晋作 at 13:09| 千葉 🌁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月22日

世界平和の実現を希う。



今夜の「のどじまんTHEワールド! 2014春」

ご覧になられましたか?

驚嘆するような歌唱力、そして、何といっても、日本語特有の奥行きと情感を見事なまでに歌いあげていた各国の方々。

本当に驚きと嬉しさと感動で胸が一杯になりました。

歌好きの息子も「本物」に釘付け目でした。

その一方で、世界を巡る情勢は本当に混沌の状態を抜け出せず、今なお喘いでいるような状態です。

終わりなき闘争の数々。

そんな中で、対照的なこの番組。

歌には国境はないことを感じると共に、世界平和の実現を強く願い、そして誓った次第です。


posted by 久野晋作 at 23:59| 千葉 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月11日

【お知らせ】報道特番 被災地 千葉の3年(ちばテレビ)21:30より

【報道特番】のお知らせです。

「被災地 千葉の3年」ちばテレビ 3/11(火) 21:30〜
東日本大震災から3年。3月11日の「NEWSチバ930」では、大津波の被害を受けた旭市と中継をつなぎ、被災地・千葉の“いま”を伝えるとともに、来るべき巨大地震に対し、どのように向き合えばよいのかを紹介します。 http://www.chiba-tv.com/


番組の中で、我々が日々向き合っている「焼却灰一時保管問題」についても取り上げられるものと思います。


震災から「もう3年」という感もありますが、3年経っても未だに解決の道筋が立たない課題と私達は向き合っています。

我孫子市は、東日本大震災に伴う直接的な被災のみならず、(内陸型の)液状化に見舞われると共に、放射性物質が舞い降り「除染」に追われました。そして、そんな最中に、近隣3市(柏市・流山市・松戸市)から、高濃度の放射性物質を含む焼却灰約526tが強行搬入され、脆弱な施設に於いて管理され続けています。搬入された内容等はこちらをご覧ください。

こうした不条理とも言える現状は何としてでも是正しなければならない。

そうした想いで立ち上がり、最終的な権利実現(現状回復)の手段として、千葉県を提訴するに至りました。
その経緯についてはこちらをご覧ください。


私達は、3年前の震災から何を学び、何を活かす事が出来るのか?

この問いは重く、そして、非常に大きな課題です。

しかし、この課題を乗り越えずして、私達、そして、孫子の明るい未来はありません。

様々な課題や現実から目を背けず、力を合わせ心を重ね、真っ直ぐに向き合って行きましょう。

平成26年3月11日
久野晋作


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posted by 久野晋作 at 07:00| 千葉 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月09日

▼【放射性廃棄物等撤去請求事件】の第一回口頭弁論のご報告▼

高濃度の放射性物質を含む焼却灰(指定廃棄物)の撤去を求め千葉県を提訴した【第一回口頭弁論:3月7日(金)】についてご報告致します。

千葉地裁松戸支部において最大の法廷である101号の傍聴席(84席)の全てが埋まりました。

第一次原告団32名の内18名が法廷内に着席し、傍聴出来なかった方が10名以上いらしたそうですので、報道陣を除いても都合100名以上が参加したことになります。

お陰様で、私たち怒れる市民の意思を確りと形にし、伝える事が出来ました。ご協力いただき本当にありがとうございました。また、折角お越しいただいたにも関わらず入廷出来なかった皆様に心からお詫び申し上げます。


公判当日は、原告団を代表して広域近隣住民連合会の小林事務局長が、続いて、訴訟代理人(弁護団)を代表して及川弁護士から意見陳述を行い裁判官(3名:合議制)に対して私たちの切なる想いや怒りを伝えました。

第二回口頭弁論は5/23(金)10時から、同じく101号法廷と決まりました。書面審査が中心になりますが、傍聴席が埋まるというのは、我々原告団にとって大きな力になるだけでなく、被告(千葉県)にとって大きな圧力となります。

賽は投げられました。いよいよ、これからが本当の闘いです。
安全で安心に暮らせる日常を取り戻すべく、引き続きのご支援ご協力の程、どうぞよろしくお願い致します。










posted by 久野晋作 at 01:54| 千葉 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月28日

家族の理解と支えに感謝



posted by 久野晋作 at 13:40| 千葉 🌁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月21日

「捏造された歴史の被害者にはならない」 慰安婦問題をめぐる国会参考人質疑を踏まえて

昨日、山田宏衆議院議員が取り上げた「慰安婦問題」をめぐる国会質疑。当時の官房副長官(官僚のトップ)であった石原信雄氏を参考人として招致して、「国会の場」で重要な証言を引き出しました。この質疑の模様は、衆議院国会中継(ネット)、スマートフォンでも視聴できます。http://www.shugiintv.go.jp/jp/index.php 一人でも多くの国民の皆さんに、是非、ご覧いただきたく思います。

この参考人質疑を通じて、
@ 強制連行を示す客観的資料はないこと
A 河野談話は韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査に基づいてまとめたが、慰安婦証言の裏取り調査はしていないこと
B 河野談話は強制連行まで認めたものではないこと


これらの重要な証言が「国会の場」で明らかになりました。

当時の責任ある立場にいた元内閣官房副長官の石原信雄氏が国会の場で明確に証言した意義は非常に大きいと思います。「その場しのぎの、あらぬ作り話」で我が国、そして、私達の先人達が濡れ衣を着せられ続ける訳には行きませんし、在外在留邦人に肩身の狭い思いをさせる訳には行きません。正に国家の尊厳が懸かっている問題です。

前後して行われた政府(自民党)とのやり取り。答弁に立ったのは、主に岸田外務大臣と菅官房長官でしたが、奥歯に何かモノの挟まったような答弁には歯痒い思いをされた方も多いかと思います。正気で発言しているのかどうか?真意の程は良く理解できませんが、彼等が一体【何を大切にしているか?】言い換えれば、【保守している優先順位】が分かるやり取りでした。

もっともっと注目されて然るべき質疑応答でしたが、政府(自民党)の答弁姿勢や、それを受けての相変わらずの報道姿勢に、我が国の抱えている問題が明らかに浮かび上がったと言えるでしょう。

でも、絶対に諦めてはなりません。

この瞬間も、謂れの無い侮蔑の視線に晒され悔しい思いをしている海外の在留邦人や、汚名を着せられた我々の先人達の恥辱を削がねばならないからです。

それすら出来ずに保守と言えましょうや?

青山繁晴さんも、昨日の「ニッポン放送 ザ・ボイス そこまで言うか!」で、政府(自民党・安倍政権)に対して「なぜ河野洋平を国会招致しないのか?与党の責任で呼ぶべきだ。こういう言葉をつかいたくはないが【ふざけろよ】。」と、声を大にして憤りを露わにしていました。(※ザ・ボイス http://www.1242.com/program/voice/ → ネット視聴可!私はpodcastで視聴しています。)

官僚のトップであった石原信雄氏ではなく、政治判断(閣議決定ではない)をした責任者である河野洋平氏を呼ばずしてどうするのか?ということ。何を一体守っているのか本当に意味不明です。


現地の方も、業を煮やして立ち上がりました。

彼らを見捨てるのであれば始末に負えません。

「捏造」に対しては、政官民、一致団結し断固闘うという選択肢以外にありません。

立ち上がった日系人、「捏造された歴史の被害者にはならない」
msn産経ニュース 2014.2.21 10:43
http://sankei.jp.msn.com/world/news/140221/amr14022110450002-n2.htm

 米国カリフォルニア州グレンデール市に設置された慰安婦像の撤去を求めて、日系人や在米日本人らが立ち上がった。慰安婦像の撤去だけでなく、市が慰安婦募集の強制性を裏付ける証拠を持たないまま像を設置したことを明るみにできれば、米国内で生じている慰安婦問題への誤解を解く貴重な機会ともなる。

 「日本は捏造(ねつぞう)された歴史の被害者だ。この被害から逃れるには、積極的に加害者と闘う必要がある。国際社会では自分でやらなければだれも助けてくれない」

 原告の一人で、南カリフォルニア在住の目良(めら)浩一元ハーバード大助教授(80)は、訴訟に踏み切った動機をこう語る。目良氏らは、像のそばのプレートに日本軍が強制連行したと記述されたことなどに“義憤”の念を抱き、日本をおとしめようとする試みをただそうとしている。

 米国内ではすでに慰安婦像・碑が設けられた4都市以外にも、新たに設置する動きがくすぶっている。原告は訴訟を通じ、将来、提訴される可能性があることを周知することにより、自治体や議会による新たな設置の動きに歯止めをかけようとしている。

 また、グレンデール市が連邦政府の外交権限を侵害していることが認定されれば、「日本海」の表記に代えて韓国政府が主張する「東海」表記を浸透させようとする州レベルの動きに対する牽制(けんせい)にもなる。

 今回の提訴に当たり、原告はオスマン帝国時代のアルメニア人虐殺に端を発した、さまざまなトルコ対アルメニア訴訟の経験を持つ米国弁護士事務所と契約し、態勢を整えた。

ただ、最大の懸念は訴訟費用の確保だ。訴訟準備の初期費用は原告が自ら負担したが、訴訟が長期化すれば資金不足となるのは必至。このため、原告の一部がメンバーとなっているNPO法人「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)では日米両国で寄付金を募る。

 日本政府は、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話に縛られて身動きが取れない。訴訟を通じて慰安婦問題の真実を正そうとしている目良氏らは、正しい歴史を後世に伝えたいと願う日本人による強い支援を求めている。(田北真樹子)

     ◇

「歴史の真実を求める世界連合会(GAHT)」のホームページはhttp://gahtjp.org/
posted by 久野晋作 at 12:16| 千葉 | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月18日

【男泣きに、もらい泣き】挫けず、折れず、投げ出さず



posted by 久野晋作 at 00:48| 千葉 ☀| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月13日

保守とは何ぞや? …『河野談話』を撤回しない保守とは何ぞや?

保守とは何ぞや?
何を守らんとするのか保守なのか?
保守の矜持とは何ぞや?

正気の国会議員が「真に日本を取戻す」為に、本気で闘っています。

【山田宏Twitterより 『河野談話』〜真実を語る義務がある〜】
維新を代表する衆議院予算委員会理事として、委員会運営を決める理事会で、私は予算委員会に河野洋平元官房長官、石原信雄元官房副長官、谷野作太郎元外政審議室長の参考人招致を強く要求しているが、今のところ自民党は及び腰。
この三名は「河野談話」の当時の真実を知る責任者たち。
「河野談話」は、「従軍慰安婦」の日本官憲による強制連行を認めた、日本政府の公式見解と見なされ、今や米国での「慰安婦像」設置運動や、フランスでの漫画展での「従軍慰安婦漫画」の展示、さらには「従軍慰安婦」のユネスコ登録申請など、韓国の「日本叩き」の強力なモンスターと化している。
「河野談話」が事実に基づくものならば、批判を甘んじて受けなければならない。
だが日本「軍」が韓国の女性たちを「強制的」に連行して「性奴隷」にしたなどという事実など、いまだに皆無。
最近では、「談話」の唯一の根拠とされた「慰安婦聞き取り調査」も、杜撰かつ嘘が多いことが明らかになった。
さらに、これまで政府が否定してきた「韓国側とすり合わせて『談話』を作成した」ということも、今年の産經新聞元日号で明らかに。
ここまでくれば、河野元官房長官は堂々と国会で「真実」を語る義務がある。
わが国がここまで貶められ、名誉を傷つけられてるのに知らんぷりは卑怯だろう。
河野、石原、谷野三氏は、将来にわたってわが国の子孫たちが、事実無根の「河野談話」によって、恥ずかしい思いをし続け、卑屈さで背中を曲げながら歩き続けさせても、知らんぷりをして「真実」を墓場まで持っていかれるおつもりか。
そして自民党も知らんぷりをして、それをかばうつもりか。
自民党は「日本を取り戻す」と叫んで、政権に復帰した。
だが政権に復帰したら、「日本の誇り」に関わるこの問題の真実追求には及び腰。
自民党総裁であった河野洋平氏の参考人招致は、自民党として受け入れられないとするなら、やはり自民党も「国」よりも「党」を優先したと批判されることになる。


損得勘定という話ではないのです。

先人の尊厳。
国家の尊厳。
国民の尊厳。

これらが全て懸かっている「問題」です。

正気の日本人なら、正気の日本国民を代表する国会議員のであれば、名誉回復の為、己の損得勘定なんて考えていられるでしょうか?

この問題の是正に本気でないものが、「保守」を名乗る事に非常に違和感を覚えますし、遺憾に思います。「あんたのいう保守って何なの?」と。


以下、以前の投稿に加筆したもので恐縮ですが、再掲させていただきます。

我が国を貶める為に「でっちあげられた話(いわゆる「従軍慰安婦」問題?)」に対して、確りとした対応をして来なかったが為に、いや、ファンタジーレベルの話を1993年(平成5年)8月4日に、「保守政党」たる自由民主党の宮沢改造内閣の河野洋平内閣官房長官が閣議決定もなく「認めて」しまったことが、ここまで問題を拗らせています。

米国ロサンゼルス近郊の都市にも慰安婦増なるものが設置されるなど、もはや笑い話では済まされない状況になっています。


馬鹿の一つ覚えと言われても、真に日本を取戻す為に私は言い続けます。

「ならぬものはならぬ」と。

この一言に尽きるのです。

嘘は絶対に許してはならないのです。

ましてや、悪意のある嘘など以ての外です。

おかしなことや作り話は絶対に許してはならないのです。
慰安婦問題などは、正にその典型例です。

もはや放っておいて許されるようなレベルではありません。

「嘘」もここまで来れば、笑い話では済まされないのです。

ならぬものはならぬと確りと主張し、体現し、実現する。人として、議員として、国家として、当然の事です。しかしながら、我が国には、今まで有耶無耶にして来てしまった事が沢山あります。あり過ぎるのです。

嘘も百回聞いて居れば、さも事実のように聞こえてしまいます。
本気で打ち消さねば尚更の事です。

いわれなき嘘で塗り固められた作り話で辱められた先人達は草葉の陰でどのように感じているでしょうか?

異国の地で、嘘を事実だと思い込んだ(思い込まされた)現地の人から侮蔑の目を向けられ、肩身の狭い思いをしている邦人は一体どのような想いをして暮らしているでしょうか?そして、現地の子供達は一体どのような想いを抱いて大人になって行くのでしょうか?

保守政党を自任し、我が国を形作ってきた自民党(所属のお歴々)、そして、政府の本気を見たい。好い加減に見せて欲しい。いや、見せてもらわねば困るのです。

「保守とは一体何ぞや?」

「一体、何を守るために議員になったのか?」
「一体、何を守るために政権をとったのか?」


と、私は問いたい。

今、立ち上がらずして、いつ立ち上がるのか?と。

posted by 久野晋作 at 11:43| 千葉 ☁| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする