■マニフェストとは?
マニフェストという言葉はそろそろ馴染んできたように思いますが、一般的には「(事後検証可能な)政権公約」と言われており、所謂従来の「口約束」とは違う選挙公約の事を指し、有権者との紙ベースの契約書とされています。
<過去の関連記事>
@マニフェストとは?@2005-3-26
A数字は嘘はつかない@2005-8-26
■マニフェストは単なるツールに過ぎない。
とはいえ、マニフェスト(英;Manifesto:以下「MF」という。)金科玉条のような代物でも、黄門様の印籠でもありません。MFを造ったからといって、現在抱えている諸課題が雲散霧消するわけでも、将来バラ色になるわけでもありません。実際に、そのような認識に対して懸念する声もあります。
私も、MFを掲げて戦った候補者が当選後に、「選挙によって、MFの内容は全て認めたもらった」という認識で、MFを盲信し、通行手形のように利用し、何でもかんでもその通りにやられては困ると考える事があります(⇒候補者に投票する人は10の公約のうち、全てを信任しているとは限りません。よって、何らかの事後の「担保(調査)」が必要だと思います)。
■無いよりマシ。
でも、無いよりも数段ましである事は確かです。
属人的な要素で投票するような時代は終わったからです。
今は導入期につき、試行錯誤の只中です。この運動自体はあくまでも手段であって、その目的は「選挙を変える⇒政治を変える⇒国民生活を変える」ということだと考えています。という事を鑑みると、大切なのはMFを見極める私たち有権者の確かな目であると言えます。
■それぞれの課題。
MFには専門的な言葉が並びますので、それらを平易に表現する工夫も求められますし、メディアには客観的な見地から、MFを有権者に判りやすく伝える義務があることは言うまでもありません。また関連して、国会には公職選挙法の改正が喫緊の課題として求められています。
当たり前のことではありますが、最終的には「選択の責任を自らが負うという認識が有権者には必要」ではないか?と、改めて感じています。
あまり多くの公約持ってると信用できません。
有権者的の意見です。
実現などムリでしょ・・・と、しか取れない。
そして率直な公約であって欲しい!
例えば、「手賀沼を摩周湖よりキレイにします」より「手賀沼を少しでも多くの白鳥が飛来できる沼にします」のように素直な気持ちでの公約であって欲しい!
専門的な言葉を使えば格好はいい!しかし、国民への理解は、まず期待できない。だから「素直さ」が必要でないのだろうか?
中には「それは…」というような項目もあるかもしれませんが、それも公党(候補者)の感覚(センス・肌感覚)であり、課題認識・時代認識、そして、理念・心情・人柄が滲み出てくるものではないでしょうか。
「従来の選挙公約」が信用なら無いからこそ、マニフェストというツールが必要なのだと思います。ただし、私は記事にも書いたように、「絶対視」はしていません。
やはり、「人間性(そのヒトとナリ)」というのが基本であり、大前提です。その意味においては、抽象的になってしまいますが、理念的(観念的)なキャッチフレーズも必要ですし、「夢」を語ることも大いにあって良いと思います。
マニフェスト型の選挙は未だ定着していません。だからこそ、(ある程度は)カタチに捉われることなく、自由奔放さがあっても良いと思います。
先日行われた、北海道恵庭市の市長選では、前市議である中島こうせいさんが、現職の市長に挑戦を挑み、見事に市長に初当選されています。その際に用いたマニフェストは、新しい形(提案)の一つと言えるでしょう。温もりあふれる素敵なマニフェストです。
中島こうせいwebサイト
http://n-kousei.cool.ne.jp/