私は、家族三人でゆっくりと三が日を過ごし、四日からポスティングを再開。
私にとっての仕事始めです

選挙が終わっても、変わらずに行う。私にとっては当たり前の行動ですが、その分、「ターゲット(批判の的)」になることが有ります。今まで「日常活動として、ポスティングを行う議員が少なかった(≒実際、居なかった)」ことから、議員と実際に会う機会は一般的には少なく、その分、露出度の高い議員は、良くも悪くも「ターゲット」になるということです。
仕事始めのポスティングエリアは「某所」でしたが、配布早々に、自分自身の活動内容とは異なる部分に関し、罵声に近い痛烈なご批判(というよりも、不平不満)をいただき、内心穏やかではありませんでしたが、その言葉を胸にしまいながらポスティングをし続けました。
■意見と不平不満は別次元。
ご意見をいただくこと自体は、とてもありがたいことですが、内容は千差万別です。
今回のポスティングエリアは市内某所でしたが、下水道が予定されている年次に【引かれない】ことへの苛立ちから、「こんなチラシを配っている暇があるなら、下水道を何とかしろ!」というご叱責をいただきました。
計画通りに下水道が引かれていないことは(理由はともかく)確かに問題です。
しかし、その思い(不平不満)を前触れも無く、いきなり感情的にぶつけられても、予算をつける権限の無い議員として面食らってしまいます。
ぐっと堪えて、「仰るとおりです。必ず何とかします」
とやるのが優等生的な返答かもしれませんが、出来もしないことを約束することほど無責任なことは有りませんので、私は、そのようにはお応えしませんでした。
これが火に油を注ぐ結果となり、より感情的に「ぶっ飛ばしてやりたい位だ」とまで…。手荒い(?)仕事始めとなりましたが、その方の所には、後日改めて訪問させていただき、現在の状況と今後の見通しについてお話させて頂きたいと思います。
「意見と不平・不満」は「質」が全く違います。
市民にとって、議員が不平不満を当てる対象であったり、陳情するだけの対象であれば、そうした議員が集う議会となり、議会での議論は「それ」を投影したままのモノになってしまいます。
つまり、議会が陳情合戦の場となってしまうということです。
質的な転換は、意識の転換から始めなければならないと思います。
・何故、下水道が計画通り引かれないのか?
・その説明はキチンと為されたのか?
・そもそも、市の下水道計画は絶対なのか?
・下水道を全て引ききるには、一体いくら必要なのか?
・今、財政的に「それ」が可能なのか?
など、様々な論点が有ります。
一つ一つ丁寧に紐解き、「実現」というベストの形が出来なければ、出来る限り納得の行く形で納めることが出来るかどうか?こうした観点こそ、これからの議員に求められる形だと思っています。