プラーヌンクスツェレとは、ドイツのディーネル教授が考案された市民参加の手法で、「無作為抽出で選ばれ、限られた期間、有償で、日々の労働から解放され、進行役のアシストを受けつつ、事前に与えられた解決可能な計画に関する課題に取り組む」手法(市民グループの形)を言います。
一般的に行政が行う市民参加は、予め決まった方を指名するか(団体推薦含む)、公募形式を採って行われており、そこには少なくとも「行政側の選択権」が生じます。つまり、指名(委任・委嘱)する市長または行政の「意思」や「恣意性」が働く要素は否定できません。
そうして構成された市民組織の意見は果たして客観性や独立性のあるものかどうか?非常に難しく悩ましい問題と言えますが、単なる意見という扱いには成り得ず、一定の重みを伴って公な意見(答申)として提示されてきます。
■無作為抽出の意義
プラーヌンクスツェレでは、無作為抽出で市民を選択していることから、ありとあらゆる層の市民に「市民参加の招待状」が届く事になりますから、そこに「行政の意思や恣意性」が働く余地はありません。
このシステムは、これから私たち国民が経験する事になる「裁判員制度」と似たような仕組みですが、招待状を受けた市民が参加するかどうかを決めるシステムですので、「選択権」は市民の側にのみあります。
○その他にも無作為抽出によるメリットがあります。
・通常参加しない市民が参加する(可能性がある)。
⇒地域社会の縮図(年齢・男女比・職域割合など)がより投影される
・利害関係者が参加する可能性が低くなる。
・キャリアupにはつながらない。
⇒(「箔(ハク・肩書き)目当ての参加とはならない。
・参加機会の公平性が担保される
制度の詳しい仕組みについては『まちづくりと新しい市民参加―ドイツのプラーヌンクスツェレの手法― [自治体議会政策学会叢書/Copa Books] (COPABOOKS自治体議会政策学会叢書) 』に譲りますが、当日の講師であり、著者である篠藤先生の下記の言葉がとても印象的です。
責任ある“市民”の登場
〜「観客民主主義・顧客としての市民」からの卒業〜
日本でも、様々な面で大きな変化が起こっています。「官」から「民」へというフレーズは、「民」が、企業を中心とした市場の意味か、NPOなどの市民社会を志向するものなのか、わからない面があります。また、「地方ができることは地方へ」という地方分権の主張にも、財政危機克服のため地方への責任転嫁という側面もあります。しかし、これからの地方自治体では、住民との協働が本当に必要になってきているのは事実でしょう。そのためには、もう一度、人間が本来持つ「公共性」や「協働性」への信頼を取り戻すことが大切です。そのような市民の力に裏打ちされた社会でなければ、「観客民主主義」の侵攻を食い止めることはできません。
(前掲著書・P10より引用)。
プラーヌンクスツェレは、私が四年間こだわってきた「あるべき市民参加の形」の解となる手法だと感じています。
すべての市民参加制度に組み込むには費用や時間の面で難しい問題がありますが、行政側の理屈だけで着々と計画が進んでいる【国道16号バイパス利根川沿いルート】のような「ここぞという局面(問題)」には是非とも活用すべき手法だと強く感じています。
県内初の「市民討議会」、習志野で10月に
2007年08月29日 asahi.com> マイタウン> 千葉
行政に声を届ける機会の少ない市民の意見をまちづくりに反映しようと、習志野青年会議所(田久保浩一理事長)は、市民50人による「ならしの市民討議会2007」を10月7日、市と共催で開く。20歳以上の市民の中から抽出した千人のもとに、9月1日ごろ参加のお願い状が届く予定で、田久保理事長は「県内初の試み。専門知識は必要ないのでぜひ話し合いに加わって」と呼びかけている。
市民討議会の手本は、ドイツで行われている市民参加手法「プラーヌンクスツェレ(計画細胞)」。参加者を公募や特定の団体代表ではなく、無作為抽出で選ぶのが特徴だ。グループ討議をした後、共感する意見に投票し、結果を市民答申として公表する。国内では東京都千代田区、三鷹市などで開催実績がある。
今回のテーマは「みんなで考えよう、ならしのっ子の未来」。午前10時から休憩をはさんで午後6時まで、5人一組に分かれて3回、子育て支援や地域のあり方などを話し合い、発表する。各回とも冒頭はテーマの現状について解説がある。討議内容は後日、市民提言にまとめ、市長に提出する。
参加希望が50人を超えた場合は抽選。当日は謝礼3千円が出る。希望者には保育(未就学児対象)あり。問い合わせは同青年会議所事務局(電話047・452・9909)へ。