
昨日23日午後4時35分ごろ、千葉県北西部を震源とする強い地震(最大;震度5強)がありましたが、久しぶりに恐怖を覚える地震でした。
■私はその時、池袋で開催されていた、とあるシンポジウムに参加していた(〜後日ご報告します〜)のですが、会場がビルの8階だったこともあり、本震→余震と大きく揺れたので、「ついに来たかな…よりによって都心でか…」と、身構えました。
その時、皆さんはどのような行動を取りましたか?
■幸いその後、揺れは収まり、大事には至らなかった事にホット胸を撫で下ろし、地元で用事があった私は池袋駅に急ぎました。そこから、長い旅路が始まるとは夢にも思わずに…。
■今日はお隣りの柏市の柏祭りの初日。18時から知人がO|O|前の特設会場にてダンスパフォーマンスをやるというので、彼の晴れ舞台を見届けるため、急いで帰路についたのですが、結果的には判断ミスでした⇒@情報収集の欠落&情報機器の不活用(携帯ラジオ&携帯テレビを常時持参しているにもかかわらず確認を怠った私…。話にならない…はぁ。)
■17時に池袋駅に着いてからダイヤが乱れている事を知ったのですが、先ずはそこで最初の足止め。アナウンスに従って埼京線→高崎線と乗り継ぎ&車内で立ち往生しぃ〜ので、何とか上野にたどり着いたものの、出発するまで結局約3時間の足止めを喰らってしまいました⇒A認識不足。ある意味での危機管理不足。
■かなりの数の乗客に影響を与えた事でしょう。JRは運行再開を慎重に判断したことと思います。誰が悪い訳でもなく、その事に対して突っ掛かる乗客は居なかったと思います。比較的冷静な乗客一般の姿を見て妙な安心感を覚えました。
■□■後日記;残念ながら、各地でひと悶着があったようです…。
公共交通を担う各社が、運転復旧の見通し等に関して説明責任を果たすことは、当たり前かつ大切なことです。現場の職員には、それ相応の誠実さも要求されると思いますし、「いざという時の備えが各社十分であったか?」という問題に関しては、これから検証し、新たなる対応が求められるところだと思います。
しかし、地震が起きたこと自体には、誰に責任があるわけではありません。いうなれば、外出した自分を呪うしかないでしょう。ですから、いきり立ち、職員に突っかかるのは、明らかに行き過ぎた行為であり、あってはならないことだと思います。
■いざという時の判断と行動、そして「備え」の重要性を学んだような気がしています。その意味では、3時間は安い授業料だったのかしら…(´〜`;)
電車組みは大変だったと聞いています。
私は、ロースクールでネットで論文の資料集めを
していたら揺れだして、自習室の机に潜っていました。
大学内のエレベーターが全部止まってしまい
立ち往生していました(;;)
今日、柏だったんですか?
今年も丸井前で○○ダンススクールのメンバーは、踊っていたのかな?
結局、柏にたどり着けたのは、初日の祭りも終わりかけの9時前のことで…。知人の晴れ姿を見ることは叶いませんでした。
■何はともあれ、大事には至らなかっただけでも、良しとしなければならないのかも知れません。
都市機能の脆弱性が問われる所でますが、30年以内に『関東大震災規模の地震』が発生する可能性が非常に高いと言うことを現実のものとして「本気で受け止め、しっかりと備えている」行政(自治体)・会社・個人がどれだけいるか?は、今回の対応(私も含めて…)を鑑みれば推して図るべしでしょう。
備えあっても憂いは残る。でも、被害を最低限に食い止める努力を惜しんではなりません。「困った時は、騒げば何とかなる。誰かが助けてくれる」というのは、首都直下型地震の発災時には通用しないと思っています。
【@「防災→減災」という認識を徹底するAもう一度、いざという時にどうするか?を真剣に考え、着実に準備する】良い機会になれば幸いです。
自分は駐在先の工場内にいましたが、ただ揺れが収まるのを待つばかり(汗)。ちょうど勤務時間が終わり人々が帰り出すタイミングでしたがパニックにならず安心しました。
電車の遅延は仕方ないですね。ほとんどの路線で係員が歩いて安全を確認したのち運転を再開する、という内規に従ったワケですから。
そして今日は駅の窓口に遅延を詫びる文書が貼られていましたけど、そこまで謝る必要性があるかなあ、と。遅延の謝罪よりも、復旧の過程に対する協力感謝の内容の文書のほうがよかったのでは、と思いましたが。
私は自宅にいたのですが、一週間前に購入した
液晶テレビとDVDをなぜか 押さえてました。
あとで そんなときは火の元をけして すぐ外にでる戸を開けるようにしないといけないとしかられました。ショボボーン