先の大戦で尊い犠牲となられた先人の御霊に謹んで哀悼の誠をささげ、恒久平和への誓いを新たに。
そして、新型コロナウイルス感染症という世界を覆う困難を、一致協力して乗り越えていくことも。
為せば成る、為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり
この言葉そのものだと痛感します。
若者よ、君たちが生きる今日という日は、 死んだ戦友たちが生きたかった未来だ
表題のメッセージは、下記記事中の戦艦大和の語り部・八杉さんの言葉ですが、重く受け止めなければならない言葉だと感じます。
今があるのは、当たり前ではないということ。
この認識を強く、そして新たにすべきと感じます。
戦艦大和の語り部・八杉康夫さんが私たちに遺したメッセージ
令和3年度 我孫子市平和祈念式典
8月14日に開催された我孫子市平和祈念式典に一市民・保護者として参列しました。今年の式典も、コロナ禍での開催となることから規模を縮小しての開催となりました。
前市長の福嶋浩彦氏の時代から始められた【中学生の広島への派遣事業】も17年目となりますが、今年の派遣事業には、息子が在籍する中学校を代表して参加させていただきました。
コロナ禍で施設が感染防止対策で臨時閉館するという状況となりましたが、現地で感じたこと学んだこと気付いたことを各学校等で報告し、共有して欲しいと思います。
平和を実現たらしめるものとは?
隣国Chinaの横暴極まりない覇道(覇権主義)を目の前にする我が国として、「平和を実現し、恒久的に維持して行くために、どのよう処して行くべきか」を、より真剣に考え行動することが大切だと私は考えます。
その為には、「恒久平和の実現」という理想を高く掲げると共に、現実的な対応(外交・国防・備え)を並行して行わねばなりません。
それが政治の為すべき仕事であり、責任です。
逃げずに確り対応すること。
このことこそが、先人の労苦に報い、祖国のため、愛する家族のために尊い命を犠牲にされた英霊に報いることであり、現代を生きる我々の責務だと思います。
隣国Chinaの横暴極まりない覇道(覇権主義)を目の前にする我が国として、「平和を実現し、恒久的に維持して行くために、どのよう処して行くべきか」を、より真剣に考え行動することが大切だと私は考えます。
その為には、「恒久平和の実現」という理想を高く掲げると共に、現実的な対応(外交・国防・備え)を並行して行わねばなりません。
それが政治の為すべき仕事であり、責任です。
逃げずに確り対応すること。
このことこそが、先人の労苦に報い、祖国のため、愛する家族のために尊い命を犠牲にされた英霊に報いることであり、現代を生きる我々の責務だと思います。
「彼らの犠牲があって今がある」元特攻隊員、千玄室さん
15日で終戦から76年。茶道裏千家前家元の千玄室さん(98)は学徒出陣し、特攻隊員だった過去を持つ。今も亡き戦友の存在を胸に刻み、「彼らの犠牲を忘れないでほしい」と願う。過去を正しく知り、未来に継承することが、今を生きる人の責務だと考えるからだ。
同志社大2年だった昭和18年、海軍に入隊。戦況が不利になった20年3月、配属されていた徳島航空隊でも特別攻撃隊が編成されることになった。
ある日、上官から1枚の紙を渡された。そこにあったのは「否・希望・熱望」の3つの選択肢。千さんはその日のうちに、「熱望」に二重丸を書いて提出した。「死にたくねえなあ」とこぼす同期もいた。
「死ぬ覚悟はできていました。でも当時は20、21歳の青二才。『死』の本質は分からなかった」。トルストイの「戦争と平和」を読んだり同期と語り合ったりしたが、死の意味について誰もが納得する答えを導き出せた仲間はいなかった。
同期約3300人のうち、400人超が特攻などで散った。出撃を前に涙ながらに「お母さん」と叫んだ声、敵艦に体当たりするときの「ツー」という最期の電信。強烈な体験は今も脳裏を離れることはない。
沖縄への出撃命令を待ちながら終戦を迎えた千さん。「生き残ったことはじくじたる思いだった」と話す。
戦後、当時の上官に会う機会があった。「私になぜ待機命令が出たのですか」。そう尋ねた千さんに上官は「天命だと思いなさい」と答えた。以来、自分に課せられた意義を問うようになったという。
平和は、願ったり叫んだりしてもやってはこない。どうすれば次の世代につなぐことができるのか。重みを痛感する毎日だ。「彼らの犠牲があって、今があることを忘れてはいけない」。涙を浮かべて訴えた。
https://www.sankei.com/article/20210814-CDZCV7ATWFPDFPKSGEH2V55BYA/?860662