2019年04月01日

🔴絶叫選挙、泣き落としの選挙に異論あり。

選挙は厳しくて当たり前。

それが嫌なら出馬しなければいい。

候補者同士の厳しい戦いであると共に、
自分自身との戦いでもある。

さらに、有権者との真剣勝負の場でもある。

そこに、絶叫や泣き落としの入り込む余地はない筈だ。


その厳しさを当たり前に受け入れ、主権者たる有権者に対して、正面から訴えるだけの信念、信条、政策が無いから絶叫せざるを得なくなるのだろうか?

そうだとすれば、とても残念でならない。

絶叫しても事態は何も変わらない。

いや、意図的に変えようと試みているのか?

そうだとすれば、冗談じゃない。

公共の場を何だと心得ているのか。
選挙の場を何だと心得ているのか。

付き合わされる支援者、未来あるインターン達、駅利用者が気の毒でならない。

その立場になって、自分の立ち振る舞いの良し悪しを考えてみれば分かる事ではないか。

塾から家路につこうとする子供達に、胸を張ってあなたがしていることの正当性を説明出来得るのか?

どう考えても、無理だろう。



絶叫してまで、一体全体、

有権者に何を訴えたいのか?
有権者はどう感じているのだろうか?

それを傍で見ていながら、

諭しなだめる支援者は居ないのだろうか?



選挙は、選ばれる側はもちろんながら、選ぶ側も試される期間でもある。

だからこそ、候補者から発せられることが「情に極端に偏ったものとなること」は避けねばならず、【現職は4年間の活動と真の実績を掛け値無しで提示すればよく、その上で、次の任期はどうしたいのか?を訴える】のが、スジではないだろうか?


泣き落として票をもらって何になるのだろうか?
泣き落として票をもらって検証が出来得るのか?

冷静に考えれば分かる事ではないか。

冷静さを失うような候補に未来を託せるか?




議員はスーパーマンでも、スーパーウーマンでもない。

「何でも出来る、何でもして来た」はあり得ず、議会人としての立ち位置と限界(出来ること・出来ないこと)も明確にした上で、信を問うことが大切なことではないか?

有権者と候補者も、良い緊張関係の元、展開される選挙戦になれば、必ずお互いが成長でき、結果として、市民に還元できることが増えてゆくのではないか?


色々な意味で心配でならない。

🔴追記🔴
この指摘が胸に突き刺さったのであれば、直ちに態度を改めて欲しい。

まだ選挙は中盤戦。

4年に一度しか執行されない大切な選挙の機会を、なお情実選挙に貶めるつもりなのか?

目を覚まし、態度を改め、掛け値無しの実績をもとに、有権者と真摯に向き合うのか?

過去の言動は取り返すことはできない。
でも、過去の意味は変えることができる。

すべてはあなた次第だ。



#統一地方選 #我孫子市 #千葉県政






posted by 久野晋作 at 23:08| 千葉 ☔| 選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする