昨夜の林英臣塾長からの講義は「文明法則史学(800年周期説)」
当然の事ながら、この「言葉」を初めて聴かれる方は、「なんの事やらさっぱり分からない」と存じますが、強いて一言集約すると「東西文明はおよそ800年の周期を持って盛衰を繰り返しており、今、この時がまさに文明転換期であること。そして、この時代に生を受け、政治の道に志を立てた以上、文明法則史学という大局観(座標軸)を以って何を為すべきかをここに問う」ものです。
日常に追われると、ついつい足元のことにしか目が行かなくなり、「短視眼的なものの捉え方・見方」しかできなくなりますが、塾長の講義をお聞きする度に、大局的な見地に立つ事を忘れず臨んでいく必要性を痛感させられます。
【⛩靖國神社での素読・参拝】
早朝は、靖國神社の開門に先立ち、参道にて朝稽古として行なっている「天津祝詞(アマツノリト)」、「教育勅語」、「林英臣政経塾建塾の精神ならびに五誓」、そして「士規七則(吉田松陰作)」を心を籠め、気持ちを重ねて奏上(唱和)しました📖
開門(早朝6時前)から訪れたのは初めてでしたが、静寂な朝の参拝。
本当に心が鎮まりました。
諸事、思いを新たにした次第です。
【東京都慰霊堂🔥✈️】
昨日は、東日本大震災から6年目となる3月11日でしたので、講義の冒頭、お亡くなりになられた被災者の皆さんのご冥福を祈り、黙祷をさせていただきました。
我々には、忘れてはならないもう一つの日があります。
3月10日の東京大空襲。
米軍の無差別爆撃により、何の罪もない10万を超える市民が大量虐殺された日です。
敗戦が濃厚になった昭和19年夏のマリアナ諸島の陥落以降、同年11月以降、米軍による首都東京の空襲(国際条約違反の非戦闘員である市民に対する無差別大量爆撃)は本格化し、激しさと残虐性を増しました。
敗戦を迎えた8月15日当日の西多摩郡青梅町(当時)への空襲も含め、非戦闘員である無辜の民が住み暮らす都市へ無差別大量爆撃(殺戮)の回数は、何と100回を超えるものでした。
お恥ずかしいながら、私は、その事実を初めて知り及び暫く声が出ませんでした。
中でも苛烈を極めたのが昭和20年3月10日の東京大空襲で、正確な人数は分からないようですが、10万人を超える無辜の民(非戦闘員である市民)が犠牲になったと言われています。
如何に燃やすか。
如何に焦土化するか。
如何に死屍累々を築くか。
計算に計算し、実験に実験を重ねた上での爆撃。
日本の家屋が燃えやすいことを知った上で焼夷弾を製作、そして改良に継ぐ改良…。
同じ人間の所業とは到底思えず、許せません。
しかし、当時、その陣頭指揮をとったカーチス・ルメイに、1964年12月7日、勲一等旭日大綬章を授与するという有り得ない対応をしています。当時の政府は本当に愚かな対応をしたものです。
憎しみからは何も産まれない。
過去を嘆いても何も戻って来ない。
でも、我々には、史実と向き合い、真実が何であるかを知り、当時を生き、烈火の炎の中で悶え苦しみ命を落とした同胞に思いを致し、誓いを立てる責任があると思います。
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そこで、林英臣政経塾の同志と共に、東京都慰霊堂を訪れ、関東大震災、東京大空襲の犠牲者に哀悼の誠を捧げ、「よい国日本」をつくり上げることを心からお誓い申し上げた次第です。
3月10日だけなく、北海道から九州地方に至るまで、全国の主要都市に無差別爆撃をしていることも、我々はきちんと教えられていません。
両国駅からすぐそばにあります。
東京都慰霊堂のある都立横網町公園は、ポケモンGOをされている方で賑わっていたのが何ともシュールな情景として目に移りましたが、我々大人は元よりとして、ぜひ、子供達に見て欲しい。訪れて欲しい、そう思いました。
【東京都慰霊堂(とうきょうと いれいどう)】は、東京都墨田区横網の横網町公園内にある慰霊施設。1930年(昭和5年)に関東大震災の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を祀る震災記念堂(しんさい きねんどう)として創建され、1948年(昭和23年)より東京大空襲の身元不明の遺骨を納め、死亡者の霊を合祀して、1951年(昭和26年)に現在の姿となった。東京都の施設であるが、仏教各宗により祭祀されている(以上、wiki調べ)