2016年01月12日

「市民憲章」を、市主催の各式典・各イベントで確りと伝え、まちの隅々まで浸透させたい。

昨日、一昨日と成人式が各地で開催されました。

とかく「荒れる成人式」と報道されますが、メディアを通じて報道されるのは、全国の成人式の中で極めて僅かではないか?と感じますが、皆さんの自治体における成人式の状況は如何でしたでしょうか?

我孫子市に於ける成人式の一部については、先般当blogにてご報告のとおりですが、生駒市選出の奈良県議会議員 佐藤光紀氏のfacebook記事(生駒市成人式における「式次第(パンフレット)」等)を拝見し、「おおッ!これだよッ!これッ!」と感じ入りました。

平成28年生駒市成人式に来賓出席をさせて頂きました。先ずは『ご成人おめでとうございます』と言いたい。唱和や宣誓の際には大人びて感じ、頼もしさも感じました。式典が終わって式場周辺にいる新成人と少し立ち話もしてみると中々面白い意見が出てました。看板前にて着物姿の撫子に断りを入れて記念写真を一枚撮影 (^_-)-☆ どう?成人式らしいでしょ(笑

Posted by 佐藤 光紀 on 2016年1月10日


新成人の謝辞の場面で、式典に参加している新成人が起立していることにも目が行きました。

謝辞は、主催者である我孫子市(この場では、行政のトップである市長)に対して行うものです。

御礼をする側が、着席というのは明らかにおかしいですが、こうした「禮」を重んずることが当たり前に行われていることに、とても好感を覚えます。


報道で「荒れる成人式」「極めて場違い・勘違いの様相で参加する若者」などを見て「市の主催事業であることに対する是非」もありますが、私が注目したのは、式次第に「市民憲章が掲載されていたこと」です。

何気ないことかもしれませんが、とてもとても大切なことです。

成人式は、他でもない市が主催しています。

現在、新成人による「実行委員会形式」を採っているものの、全ての企画を新成人に一任する必要は無いと思いますし、そうであってはならないと私は考えます。

その市で育った子供が成人するのです。

であるならば、その市の想いが歴史が文化が凝縮された「憲章」を記さずしてどうすんじゃい!と思う訳です。

単なる顔合わせの場であるならば、勿体ないのです。

これからは、ありとあらゆる機会を「まちの活性化」「まちの生き残り」「選ばれるまちづくり」に徹底的に活用して行くことが大切だと私は考えます。


以下は、昨年12月23日のblog記事です。
重複掲載となり恐縮ですが、ご一読いただければ幸いです。

今議会の一般質問の大綱4点目で「郷土愛の醸成に対する取り組みについて」を取り上げました。
大綱4 郷土愛の醸成に対する取り組みについて
 (1)「ふるさと我孫子の先人たち」の利活用状況について
 (2)我孫子市民憲章と我孫子市民の歌の利活用について
  ア.小学校・中学校での指導および利活用状況について
  イ.市内のイベントでの利活用について
  ウ.市内各駅におけるチャイム(発車音)への導入状況について

「選ばれるまち我孫子」となる為の大前提は、今、この地で住み暮らしている我々自身が、我孫子を郷土、ふるさとと感じ、そして、我孫子の歴史・文化・伝統・風土・環境に慣れ親しみ、愛すること、誇りに思う事です。大綱4点目の質問は、その前提に立って行った質問です。
わたくしたちは、利根川と手賀沼にかこまれ自然と歴史にはぐくまれた我孫子の市民です。
わたくしたちは、田園教育文化都市をめざす市民としての誇りをもち、明日への願いをこめて、ここに市民憲章を定めます。

水と緑と土のにおいがいっぱいの 住みよいあびこにします
心と体をきたえ 生き生きと働き 伸びゆくあびこにします
老人を大切にし 子どもの夢を育て 幸せなあびこにします
ふるさとを愛し 文化を高め 豊かなあびこにします
みんなで話しあい きまりを守り 明るいあびこにします


みなさん、この文章をご存知ですか?


これは、昭和56年1月15日に制定された「我孫子市民憲章」です。

我孫子市民憲章にうたわれている内容は、「道徳的な規範また健康文化を大切にする」という強い指針が表されており、私は大いに活かすべきと感じていますが、残念ながら、現在十分に活かされていません。

人は、言葉を日々目にし、耳にすることで、自然と馴染み、行動や態度に反映していく生き物です。

郷土愛を醸成するという観点に於いては、尚の事、我孫子市民憲章および我孫子市民の歌を様々な機会を通じて、より積極的に周知・徹底・活用すべきと考え、「小学校・中学校での指導および利活用状況について」また「市内のイベントでの利活用について」今回の質問の中で取り上げました。

目前の課題と向き合いつつも、「ないものねだりをするのではなく、既にあるものを目一杯活かし、守り、育てて行くことこそが、我孫子が目指すべき道である」と、私は思います。

小学校教育の中で、一部取り扱っている学年もあるとの答弁も頂きましたが、小学生に留まらず、我孫子に住まう市民が皆、諳(そら)んじる事の出来るレベルまで達すれば本物であり、そうなって初めて劇的に変わって来ると私は考えている、いや、確信しています。
政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら、
堅い板に力をこめて、ゆっくりと穴を開けていくような仕事である

マックス・ヴェーバー

我孫子市の為に成る。我孫子市民の為にある。子供達の為にる。
そのように確信をもった政策であるならば。

出来るまで、実現するまで、何度でも、何度でも。
私はあきらめずに取組んで行く所存です。
posted by 久野晋作 at 18:00| 千葉 ☔| 徒然こらむ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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