2014年12月04日

【国家存立に対する危機意識】が有りや無しや?

こんにちは、久野晋作です。

国家存立に対する危機意識の有無。

私はこれこそが今回の総選挙の争点だと思っています。

香港や台湾の出来事。

対岸の火事、画面の向こう側の世界だと思っていたら大間違いです。
いつか「誰か」が火の粉を被る事になるかも知れません。

その「誰か」が己自身なら未だ諦めもつきますし、自業自得と言えます。
立ち上がらなかった自分を呪い、後悔し、地団駄を踏み、ほぞを噛むしかありません。

でも、その「誰か」が我々の愛する子孫だとしたら、どうでしょうか?
私は、そうなってしまったとしたら、死んでも死に切れません。

もし、そう思わないのであれば、親でもなければ、日本人でもなければ、人間でもないと言っても良いとすら思います。

なぜならば、子孫の生きる未来すら顧みないそうした無責任極まりない態度と意識とは、「自分さえよければ、今さえ良ければそれで良い」の究極の恥ずべき姿・意識に他ならないからです。



我が国では、幕末のみならず、多くの先人達が立ち上がり、戦って下さいました。

危機は目の前どころか、足元に山ほど積み上げられています。

今、我々が覚醒し立ち上がらずして、誰がいつ立ち上がると言うのでしょうか?

今が、そのラストチャンスだとしたら。


チベット、ウイグルの現状は日本における非現実の未来とは私には思えません。

今、この瞬間にチベット・ウイグルで一体何が行われているか?

既存のメディアでは殆ど報じられる事は有りませんが、「真のメディア」として確立しつつあるネットメディアで検索してみれば一目瞭然です。

人権人権と、狂ったように叫び続ける米国や左派と呼ばれる人達から、21世紀における最大の人権侵害とも言える支那のチベット・ウイグルへの侵略・侵害・凌辱・殺戮行為の中止を求める本気の動きは聞いた覚えも、見た記憶も有りません。

私は、こうした二面性、矛盾、ご都合主義的な姿勢を見ると、その対象を強く疑い、嫌悪感すら覚えます。
そうした対象に信頼など置く気には更々なりませんし、主義主張を聴く耳を持とうとは全く思いません。


仮初めの平和が保たれている今だからこそ、構えを作らねばなりません。

取り返しのつかぬ事になったら、ご先祖様は元よりとして、子孫に顔向けできるでしょうか?
私には出来ません。

党首討論において、その点が論じられる設問は皆無です。

邪推の域を出ないかもしれませんが、恐らく意図的なものがあると思います。


一方、その危機感を訴える又は発言の中で醸し出している党首は極僅かです。



後悔先に立たず。

国家の存立と言う極めて重大な問題に対しては、この言葉では軽過ぎます。

取り返しのつかない事態になってからでは遅いのです。



経済も勿論大事ですが、国家の存立なくして、経済もくそもありません。


国防についての課題認識や国家存立に対する危機感をもっともっと持て!

と、我々国民が突き上げて行かねばならないと強く感じる次第です。


posted by 久野晋作 at 12:00| 千葉 | 選挙 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする