しかし、その記者会見の主たる対象は「吉田調書」問題を巡るものであって、もう一つの「吉田問題(いわゆる「慰安婦問題」)」が対象ではなかった。他の記者に問われて初めて語るという、相変わらずの無反省ぶりに呆れ果てる。
そもそも、「訂正」などという軽い言葉で済む問題なのだろうか?
これらの一連の誤った報道により、どれだけの人が傷つき、どれだけ国家の名誉が棄損されてきたと思っているのだろうか?
なぜ事実ベースで伝えないのだろうか?一体なんの為に?誰の為に?
私には全く理解出来ない。
確りと説明した上で、ありとあらゆる手段を講じて、吉田所長をはじめ現地で作業に従事していた所員、ひいては国家国民の名誉回復に勤めていただきたい。
http://www.yomiuri.co.jp/national/20140911-OYT1T50120.html?from=ytop_top
▼以下は、facebookへの今朝の投稿記事です。
吉田市長のおっしゃるとおりだと思います。決して、思い込みではなく、ストライク(ご明察)だと思います。
政治家、しかも、現職の市長が最大手のメディアに対して、このような見解を述べられることは、とても勇気がいると思いますが、吉田市長の心意気(志)に敬意を評す次第です。
「ならぬものはならぬ」と、思います。「はぁ、そうですか」と、済むような話では一切ありませんよね。「結論ありき」の取材。これが答えでしょうね。私は取材すらないまま、一方的に記事を書かれ名誉を毀損されました。「決め付け」て論ずる彼らの手口を生で経験しています。当て所の無い当時の苦い想い出が蘇ります。
彼らに真っ当なジャーナリズム精神が存在するコトを祈りたいと思いますが、昨日の会見から察するに、あの程度の認識では無理でしょうね。読者や関係者への謝罪はあっても、国家国民に対する謝罪は一切なかったからです。この期に及んでも。自省・自戒・自浄作用能力すらないのか?と、感じている次第です。
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恥の上塗りになるコトを承知の上、当時のブログ記事を添付します。
http://shinsaku.seesaa.net/article/360122952.html
なお、当時の記事(2013年5月21日)で、【いわゆる従軍慰安婦問題への我々日本人が取るべき対応について】に触れていましたので、改めて紹介させていただきます。
http://shinsaku.seesaa.net/article/362660898.html
あれから1年4ヶ月も経つのか…と思うと、色々と感慨深いものがありますが、輿論が正常化しつつある(歴史を取り戻す機運が高まっている)ことを心から嬉しく感じています。
勝負はまさに、これからです。
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以下、当時のブログの投稿内容(後半の部分)をそのまま転記します。
http://shinsaku.seesaa.net/article/362660898.html
当時の心ない朝日新聞の記者がでっち上げた「フィクション」を、史実にしては絶対になりません。
ならぬものはならぬのです。
ここで中途半端に崩れ墜ち、ブレたり、折れたりしてしまったら、先人達、そして次代を担う子供達に顔向けができましょうか?草葉の陰で、現世を眺めておられる先人達はきっと泣いていらっしゃると思います。
ならぬものはならぬ。
今こそ、踏ん張り時であり、私たち日本人の歴史と未来を取り戻す最後の機会だと私は思っています。
正に、真に日本を取り戻すのは今であり、「国民輿論」の出番です。
何が間違っていて、何が正しいのか?我々が政治屋やマスメディアを突き上げて行きましょう。
我々国民が折れたり、ブレたりしたら正義を勝ち取り、日本を真に取り戻すことはできません。
皆さん、力を合わせて頑張りましょう