選挙公報は捨てずに手元に残して置きましょう。そして、それを元に、(当落に関わらず)自分が支持した候補者がどのように行動するのかを四年間追うことが大切だと思います。今、有権者(バッジを付けない主権者)に問われているのは「この部分」ではないでしょうか?
投票に行かないのは論外ですが、「選びっ放し」が如何に問題であるのかは、夕張市の財政破綻が雄弁に物語ってくれています。議員を「選びっ放し」にすることは、牧草地に「羊」を放し飼いにするのと同じです。
放っておくと、無制限に草を食べまくって、散々、私腹を肥やした挙句、ぺんぺん草も生えない状態にしてしまうかもしれません。放っておくと、とんでもないことを平気でやってのけるかも知れません。
東京都下の区議の政務調査費の使途の問題などは、その顕著な例(氷山の一角)ですし、議員年金など、まだまだ多くの問題を抱えています。
議員は、あくまでも主権者の「代理・代弁・代表」者であって、主たる権限を持っている存在では有りません。互いの大きな勘違いが制度をゆがめ、政治や社会をおかしくしている主たる原因だと思います。
どのような社会にしたいのか?
どのような政治にしたいのか?
これを選択し、実現させる主たる権限を持っているのは、他でもない国民・県民・市民です。黙っていては何も始まりません。
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今朝は、天王台駅南口にて駅頭(ダブル;市政リポートの配布と駅頭演説)を行いました。昨日の「挨拶」の項目で述べたとおり、二極化(三極化)は此処でも同じですが、いつも変わらずに対応して下さる方も同じです。そして、新たに反応をして下さる方もいらっしゃることが更なる励みになります
