私の駅頭では、挨拶を大切に考えています

「リポートの配布は、付随して行っている」というわけでは有りませんが、リポートをお取りいただこうと、そうでなかろうと、お声掛けをさせていただいています。
もちろん、中には迷惑そうな顔(怪訝な顔)をされる方もいらっしゃいますので、「使い分け」はしています。使い分けと言っても、気持ちの軽重ではなく(笑)、音量やトーンの調節、言葉遣いなど様々な使い分けです。
通り一遍の、単なる挨拶とそうでない挨拶には違いがあります。「言葉は心から生じる言霊」だと考えていますので、それこそ『一声入魂』で挨拶しています。
まだ、喉の調子が戻らず、気持ちハスキー・ボイス&ロボ状態。。。ですが、甲高いトーンではないので、ちょうど良いかもしれない…と思う今日この頃です。
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挨拶をしていて、いつも気になることがあります。それは、高校生に挨拶をすると「笑われること」です。おそらく「気恥ずかしさ」や「不慣れ」なのだと思います。もしかすると、別の理由があるのかもしれませんが、これをやられると、私も苦笑いをしてお返しするしかなくなります。。。(^^ゞ
挨拶に恥ずかしいも何もありません。挨拶を返さない方が、私は恥ずかしいと思います。私たちの頃は、家でも、地域でも、学校でも、そのようにキッチリと教育されてきました。
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挨拶を返してくれないこと自体には、(それほど。。。?)気にしていない(というか、慣れてしまった…)のですが、挨拶をしても「無表情な子ども(無反応な子)」を見ると、本当に心配になります。
心の感度が弱くなっているのだろうか?と。
今は、小学校や中学校で挨拶運動は盛んではないのか?
それとも、家庭や地域で挨拶が交わされていないのか?
この子たちが大人になったとき、どうなるのだろうか?
そんなことにも想いを巡らせたりもする駅頭です。
返事を返してもらえれば嬉しいでしょうが、なくても、挨拶をする。返事をしなくても挨拶をされた人は、心の中でいろいろ複雑な思いが駆け巡っているはずです。
とに角いつも笑顔で挨拶をする、これは素晴らしいことです。
挨拶は体に染み付いているものであり、(基本的に)人に会い目が合うと、条件反射的に出てしまいます。でも、挨拶を返していただく事が比較的「少なく」なってきているので、正直、ためらう傾向も出ています。
迷惑な方にとっては、迷惑でしかないのでしょうが、そんな世の中は、住みよい世の中とは私には思えません。何とかしたいと密かに思っています。
「挨拶の 行き交う街に 空き巣なし」
よくある標語の一つですが、真実を付いていル戸思います。「暮らしの知恵」が一つ一つ消され始めています。先人が積み上げて来られた知恵(伝統)が無くなり始めています。
笑顔の絶えないまち。
挨拶の行き交うまち。
私は、素晴らしいと思います。