http://sankei.jp.msn.com/smp/region/news/130520/chb13052023260007-s.htm
処や立場は変われども、変わらないものがあります。
それは、【日本人としての矜恃、責任感、そして、使命感】です。
公認差し替えに関する恨み辛みを論じても何の役にも立たないと思っていますし、3月末の公認内定以来、約一ヶ月半の間に、私が受け続けた様々な事象や出来事を開陳して行けば、現在の逆風の中で最前線で必死に頑張っている日本維新の会の同志の皆さん(夏の参院選のみならず、5月26日投開票となる千葉市議補欠選挙@稲毛区、6月の東京都議会議員選挙、そして、各地地方選挙)に無用な塁を及ぼすだけであり、私の本意とする処では全くありません。
また、極みに達しようかとしている政治不信を煽り立てることに確実に繋がると思います。よって、私・久野晋作の人間としての尊厳ならびに最低限の名誉回復に関する事象を除き、当該案件に関する直接的なコメントは、当面の間、差し控えたいと思っています。
ただし、それでも尚、私に対するあらぬ虚構をでっち上げていくのであれば、法的な対応を含めて毅然と対処させて頂く所存です。
私は、どのような立場になろうとも「義」を貫きます。
私は曲がったことは許しません。許すつもりもありません。
誤解を恐れずに言えば、「私は日本維新の会の理念・政策・姿勢に賛同したのであって、属人的な問題などには興味感心はない」のです。バッジを付けようが外そうが、どのような立場になろうとも、「曲がったことだけは断じて許せない」だけです。
沈みゆく日本丸の中で、小さなコップの中で痴話喧嘩している余裕など全くないのです。困苦に喘ぎ、希望や自国への誇りを見失わされてきた「心ある国民」が、そんなことを望んでいましょうや?
【いわゆる従軍慰安婦問題への我々日本人が取るべき対応について】
この世に生を受け育った自らの国を純粋に愛することの大切さと素晴らしさを理解していないメディアとそれらを取り巻く国内外の様々な勢力により、「世論の誘導」が行われ、「保守を自認・自称されておられる政治屋」の方々も右往左往、右顧左眄、そして、波間を漂う木の葉のように翻弄されています。
「いわゆる慰安婦問題」に関して、平成22年の第一回定例会に提出された陳情に対し行った討論原稿を再掲させて頂きます。
http://t.co/lZ9FIrJGBT
当時の心ない朝日新聞の記者がでっち上げた「フィクション」を、史実にしては絶対になりません。
ならぬものはならぬのです。
ここで中途半端に崩れ墜ち、ブレたり、折れたりしてしまったら、先人達、そして次代を担う子供達に顔向けができましょうか?草葉の陰で、現世を眺めておられる先人達はきっと泣いていらっしゃると思います。
ならぬものはならぬ。
今こそ、踏ん張り時であり、私たち日本人の歴史と未来を取り戻す最後の機会だと私は思っています。
正に、真に日本を取り戻すのは今であり、「国民輿論」の出番です。
何が間違っていて、何が正しいのか?我々が政治屋やマスメディアを突き上げて行きましょう。
皆さん、力を合わせて頑張りましょう!
平成25年5月21日
久野晋作 拝