2006年11月21日

マニフェスト疲れ?

第3回ローカル・マニフェスト検証大会(写真は相馬市長の「力説」の場面です)昨日、午後1時30分から早稲田大学で開催された第3回ローカル・マニフェスト検証大会に参加してきました。当日の資料については日本インターネット新聞(JANJAN)のページでご確認いただけますので是非ご覧下さい。

当大会には第1回大会から参加させていただいていますが、今回は参加者数も少なく、熱気に溢れたものとはいえなかったように思います。帰りがけに係りの方にお聞きしたところ、参加者数は240名程度とのことでしたが、私の感じている部分では、一般参加者が極端に少なかったように思います。

発表内容自体、示唆に富むものが多く、「現状を打破しよう!」という各地域での本気の取り組みなど、もっと多くの方にみて頂きたい内容だったので、正直、残念な気持ちになりました。おそらく主催者(関係者)や発表の為に全国各地から駆けつけて下さった首長や評価者(学識関係者)の方は、その想いを強くしていたのではないでしょうか。

いまや、全国各地でマニフェスト型の選挙が行われており、特にその傾向は地方に行くほど強いものになっているのではないかと思います。従来型の選挙が行われていた地方ほど、「政策に飢えていた」ということが各地の選挙結果に明確に出ています。

逆に、首都圏においては、マニフェスト運動自体が一過性のモノになってしまっているのではないか?という危惧感を覚えました。

政策で判断するという認識(意識)が私たち有権者に入らない限り、どんなに立派で、内容の濃い(効果性の高い)政策を練っても、肝心の有権者に届くはずもなく、「暖簾に腕押し、ぬかに釘(打てど響かず)」状態といえます。マニフェスト型の選挙が目指す「お任せ民主主義からの脱却」など、夢のまた夢となってしまいます。


マニフェスト型の選挙(政治)には、まだまだ改善すべき点はあり、完全なものとは言えませんが、「今までのままで良い」とは誰もが思っていない筈です。「何をやっても変わらない」と諦めた瞬間に、歩みが止まり、一歩間違うと後退の道を歩む羽目になります。

この運動(作業)は、全ての主体《国民・県民・市民(有権者)、政治関係者(候補者・立候補予定者)、そして行政(職員)》が噛み合って始めて効果を産むものです。

主権者たる国民の一方ならぬ関心と、具体的かつ主体的な行動なくして私たちの政治、生活、そして未来は変わりません。

なぜならば、主権者たる私たち国民の選択から全てが始まるからです。

全ての人が『当事者認識を持つこと』が何より大切ではないでしょうか?
posted by 久野晋作 at 00:15| 千葉 ☔| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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