今回の一次草案は、正式な条例案ではないこともあり、逐条的な質疑には出来ないと考えていましたので、これまでの議会審議、策定委員会傍聴者としての発言、駅頭、会報、そして当blogなど…。ありとあらゆる機会において大なり小なり、ずーーーーーっと主張していることを、改めて正式に発言しました。
私が拘った(ている)主なポイントは下記の2点です。
・策定過程の透明性の確保
⇒(詳細)議事録の公開、作為の無い編集・広報
・真の意味での「市民参加」の実現(体現)
懸念しているのは、最近顕著になっている「条例を作ることが目的と化しつつある姿勢(方向性)」です。
今回の条例案だけではなく、ここ最近の一連の条例・要綱等の策定や、新たな事業を行うに際しての行政の仕事の運び方を見ていると、そもそも、何の為に作るのか?誰の為に作ろうとしているのか?疑問になることがあります。
作らないよりも、作ったほうがマシ。
やらないよりも、やる方がマシ。
という安易な選択や行動を私は支持する気にはなりません。
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もちろん、今回の条例策定に際して、そのような思いが先行しているとは夢にも思いたくもありませんが、議論の実際と過程を見続けていると、「本質的な議論がどこかに置き去りにされている虚しさ」を覚えています。
そもそも、何の為に作るのか?誰の為に作ろうとしているのか?
そんな思いが頭を過ぎるのです。
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●最近、特に念頭に置いている言葉●
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・批判の為の批判には誰も耳を貸さない
・否定からは何も生まれない
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でも。
「おかしいことは、オカシイ」
と、声を大にして言わなければならない。
私はそう考えています。
それは私の初心だからです。
このことを忘れるわけにはいきません。