2010年06月09日

ご報告【6.7】よい国つくろう!日本志民会議(千葉大会)と国政&2010参議院選挙に向けての構え方。

6.7よい国つくろう!千葉大会ご案内させていただきました、【6.7】よい国つくろう!日本志民会議【千葉大会】ですが、おかげさまで多くの参加者(約400名)に恵まれ、大変熱気に包まれた会となりました。

会場の運営は実行委員長を務めた同志:千葉市議の田沼隆志氏を中心に、この間一緒に活動してきた志民の皆さんと行いましたが、組織も何もない手探り状態の中で大会開催に向け有志の仲間一人ひとりが県内各地を奔走してきましたので、会場の入りを確認した瞬間に久々に鳥肌が立つくらい感動しました。

山田宏さんを中心とした、「よい国つくろう!日本志民会議」および「日本創新党」が掲げた「旗」、そして、理念が求心力となった運動であり活動でしたが、田沼実行委員長は元よりとして、【志民の皆さんの献身的な働きかけと活動】が有って大会の成功を納められたものと思っています。

もちろん、大会自体はゴールではなく、ある意味においては、これからの本格的な厳しい戦いに向けた「始まりの始まり」的なイベント(キックオフ的な位置づけ)であったと思いますが、昨日の成功は今後の活動において非常に大きな意味を持つものであると感じています。

「なぜ、一介の市議の立場で国政に絡む必要があるのか?」
私は、日本創新党の党員という立場ではなく、山田さんの掲げる理念(日本よい国構想)や、よい国つくろう!日本志民会議、日本創新党の理念や「志」に共鳴し、賛同する地方議員として各地の同志とこの活動を応援しています。

「なぜ、一介の市議の立場で国政に絡む必要があるのか?」と疑問を持たれる方もいらっしゃるかも知れませんが、市政と国政とは別物でも、無関係な位置関係にもありません。市議会議員という立場である以上、直接携り責任を持っているのは市政運営であることは言うまでもありませんが、国政の混乱や失政は引いては自治体運営、そして、国民生活(市民生活)に深い影を落とすと共に、孫子の世代に及ぶ禍根を残す事になってしまうのです。

政権の「混乱」や「迷走」を目の前にして、黙っていることは私には出来ません。


「地域のこと、自分の事だけをやっていればいいじゃないか?」
と言われる方もいらっしゃいます。

しかし、私は自らの地域さえ良ければ、
自分さえ良ければという考えには私は立てません。

私は、地域のことも、国のことも。
どちらに対する関心や愛(情)も欠けてはならないと思っています。

また、一部を持って全部を論じたり断じるのでもなく、偏りや二項択一(選択)的に物事を捉えるのでもなく、全体観を持って政治に取り組むことが必要だと思っています。

こうした観点(理由)で、私は活動しています。


理念と信念。そして、地方から「義」のウネリが必ず来る。
立場的にも時間的にも金銭的にも厳しいものがあることは確かです。私の活動や考え方に対してご支援ご理解をいただいている方もいれば、ご批判をいただくこともあります。

しかし。国難とも言うべき事態に際して、四の五の言っている場合ではないと常々考えていますし、その影(の一端)が市政にも降りかかっているという現実を垣間見ている以上、私は黙っていられないのです。

そこで、理念に共感し賛同できる日本創新党という政党とそれらに関連する運動を応援し、理念が実現するように現在活動させていただいています。もちろん、市議会議員としての活動を疎かにしているツモリは毛頭ありませんので、その点につきましてはご理解をいただければ幸いに思います。

※詳細説明は割愛させていただきますが、そういう考え方や行動をしている全国の魂若き地方議員および地方議員立候補予定者が集っている活動(竜馬プロジェクト)にも参加させていただいており、このウネリは全国各地で大きなものになってくると思います。
6.5竜馬プロジェクト総会


さて。
このたび、民主党を中心とする連立政権は、鳩山さんから菅さんに「表紙」を変えました。

党執行部の人事も大きく若返りして「刷新感」はあります。

しかし、民主党を構成している本質部分(党員・支持母体)は何等変わっていません。「表紙」を一時的に変えただけで、民主党という政党が抱える根源的な問題点や性格が劇的に変わることはないでしょう。一番問題だと思うのは「国家観や歴史観」がばらばらであり、政党の核心である「綱領」がないことです。当然の帰結として、「わが国がどのような歴史を踏まえて現在に至っているのか?という大前提」や「どんな国にしていくのか?どんな国にしなければならないのか?」という政党としての統一見解がありません。


今回の首相交代により、一時的に内閣支持率が上がっていますが、これ幸いと、「この基調が冷めない内に、早く参議院選挙をやってくれ」という選挙至上主義ともいえる発言が聞こえてくる事に、また、「あのまま小鳩政権が続いてくれれば戦い易くてよかった」という野党の声にも辟易しています。

なぜ、内向き・身内向けに終始した政策に捉われ、根源的かつ本質的な部分である「国家観・国家のビジョン」を投影した政策を掲げて戦わないのでしょう。

支持率に一喜一憂して、それに右往左往しているような政権運営は、「まさに衆愚政治」そのものであり、その結末(≒子孫へのツケ)は恐るべきものに成ってしまいます。


政治とは、かくも低俗なものなのでしょうか?
政治とは、かくも醜い、どうでも良いことなのでしょうか?

私は決してそうではないと思っていますし、
そうあってはならないと思っています。


今夏の参議院選挙を終えると、この先最長で3年間国政選挙が行われない可能性が有ります。しかし、抜本的な部分が変わらないままに、現政権が3年続いたとして、この国の未来はあるとは私には思えません。

来る参議員選挙においては、「表紙のすげ替え」をどのように国民が判断するのか?この間の政権運営についての審判をどのように下すのか?非常に大きな判断(選択)の機会になります。

私は私なりに、精一杯、自分の出来ることをやり抜く所存です。


今後ともご指導ご鞭撻、ならびにご支援ご協力のほど、
何卒よろしくお願い致します。


posted by 久野晋作 at 11:31| 千葉 ☁| 日本創新党 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする