2009年12月31日

具体的に動けば、具体的に変わる

本年は個人的にも、まさに「激動の年」となりました。

国政では「政権交代」が実現し、「今まで見慣れた政治の風景」が一変し、「変化と混迷」が代わる代わるに現れ、この国の病巣を見事に浮かび上がらせています。

しかし、お茶の間で「傍観者」として眺め、テレビに向かって批判しているような余裕はないということが国民の共通認識となりつつあると思いますし、そう信じたいと思っています。

来年は一層混迷の度合いを増していくことに成るかもしれませんが、これらのことを誰のせいでもなく、全て【我がこと】として捉え、「自分に出来ることは何か?」を一人ひとりが考え、悩み、見出し、行動に移し、日々実践し、そして、一つ一つ解決していくことが大切だと感じています。

他人に、行政に、会社に、そして、自分を取り巻く環境に期待し、求めるだけでは何も変わることがない(変えることはできない)のが現実です。私たちは、「ないものねだり(強請り)から卒業」しなければなりません。


以下、「がんばろう、日本!」国民協議会の機関紙『日本再生(第367号:2009年12月1日発行)』に寄稿させていただいた地方議員リレーコラムを一部割愛&改変し、掲載させていただき、本年の締め括りとさせていただきます。

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『30代市長誕生と市民自治の深化の連関性』
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(前半部分:略)

本年は特に30代市長が全国各地で誕生した年として印象深い年でした。私も仲間の選挙(横須賀・鎌倉)に関わらせていただきましたが、この間取り上げられた30代市長のインタビュー記事を見て先ず感じることは、時代認識を一にしていると言うことです。

直接的に連携・連帯している訳ではなくとも、自然と同じ問題意識と課題認識をもち市政と向き合っていており、結果として連帯感を醸成するような形となっているような気がします。

同じ時代に生まれ、同じ時代を生きてきた訳ですから必然として共有感が醸成される部分があろうかと思いますが、松阪市長の山中光茂さん、有田市長の望月良男さんのインタビューの中に出てきた「当たり前を当たり前にしていく政治」という意識、また、財政規律に対する認識(「身の丈を超えた余計なことは出来る限りやらない」という当たり前の認識)には非常に共感を覚えました。

「ロスト・ジェネレーション世代(ロスジェネ世代)」と呼ばれる我々にとって、「右肩下がり」は(残念ながら)認めざるを得ない前提条件です。ですから、楽天的な拡大主義や放漫な財政運営は有り得ない選択として映るのです。


現在、我々を取り巻く環境が、財政的にも、社会的にも、そして、環境的にも、急速に最悪の方向に向かっているという認識は、程度の差こそあれ同じだと思います。しかしながら、「そのうち何とか成るだろう。」「誰かが何とかしてくれるだろう。」といった、オメデタイ認識を持つ人が多いと私は感じています。

時間には限り(タイムリミット)があり、このまま行けば、「ツケ」を払うのは我々だけでなく、子供達を含めた次世代なのだということを、もっと強く意識し、そして、意識させなければならない。先ずは、各自がそれぞれの持ち場で果たすべき責任を全うすることが必要であり、私はその意味において自治分権(市民自治)の確立が必要だと認識し、現在バッジをつけて活動させていただいています。

彼らのインタビュー記事やブログ等を拝見していると、こうした認識を一にしていることが良く伝わってきます。また、彼らが必死に戦っている姿が思い浮かび、自分も頑張らねばと勇気付けられています。


我々の世代が地方議会に「本格的に参入」していったのは平成15年の統一地方選挙の年でした。その基調は次の統一選でも変わらず、そして、現在は市長選へとその流れは加速しています。ある意味で「時代の要請」であり必然にも近いものがあると感じています。

しかし、市長になった彼らは、市の代表として、そして市の執行権者として「様々な厳しい現実」を目の当たりにして四苦八苦していることと思います。カリスマのある人物(または若年世代が)市長になればそれで問題解決できるほど市政の諸課題は単純な状況ではありません。だからこそ、この間日本再生で問うているように「まかせる政治から参加する政治への転換」が必要なのだと思います。

例えば、国で取り組んでいる「事業仕分け」を政治ショーのように傍観者として眺めるのか。お茶の間でブツブツ文句を言いながら暮らしていくのか。それとも、当事者として何かを感じ、具体的な行動として一歩を踏み出し、直ぐに結果は出なくとも諦めずに継続して活動し、仲間と連帯し「うねり」を作る主体にならんとするのか。30代市長誕生の裏側に、まさにこうした動きが伴わなければ結果としては何も変わらないし残らないと思います。

30代市長誕生の背景や理由として、【@変革への絶対的な期待感(「閉塞感の打破」への期待感)」、Aしがらみのない清廉さ、B率直さと実直さ(等身大であること)、C参加型政治の象徴的存在】という共通の側面があるように思いますが、彼らの誕生で全てが変わることはありません。次のステージである市民自治の深化の如何で「結果」はいかようにも変わってくると思います。

「具体的に動けば、具体的に変わる」

共に、新たな地平を切り拓いていきましょう!



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posted by 久野晋作 at 23:49| 千葉 ☁| 徒然こらむ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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