
(我孫子市HP;高野山まちづくり)
当該地はご覧のように、我孫子市の財産である手賀沼を一望出来る最高のスポットです

午後は請願陳情が合わせて8本提出されていた関係から、出来るだけ多くの方に委員会室で傍聴していただけるよう委員や事務局の皆さんと協議を重ね、おそらく過去最大の【48席+α】を事務局に用意していただき満員御礼の札止め状態で請願陳情の審査に入りました。
傍聴者の皆さんのご理解とご協力をいただき、懸念していた混乱は全くなく審査を終了することが出来ました。そのこと自体が目的ではないものの、委員会審査の(遅滞なきスムーズな)進行役を仰せつかってしまった委員長として、ホッとしているのが正直な所です。
活発な意見交換がなされるものと期待され、わざわざ足を運んで傍聴にお越しにになった方にとっては「拍子抜け」だったかも知れませんが、本日審査した請願・陳情・議案はすべて可決すべきものと決定致しました。
しかし、『議決=即執行(実現・改善)』ということではありません。実現には財源の問題等、様々な課題があります。ここから先が(むしろ)大事です。『あとの判断と執行は市長(以下、執行部)よろしくね』と、投げっ放しにすることは出来ません。議会は予算編成権はないとはいえ決定機関としての強い権限を持っています。どのように実現していくのか?実現が先になるのであれば、執行部とは別に説明責任を果たしていかねばなりません。
委員長という立場から、委員と同様に発言することは許されていません(〜ひとによって若干異なります〜)が、発言したい気持ちと咳を堪えての委員会審査でした。
議会という世間の常識と(ややorかなり)異なる世界では、経験(期数)と発言力(委員会制御力)に比例する部分が非常にあります。望外の人事の結果として、都市建設常任委員長に就任しましたが、何の手当ても付かない、しかも、質問する権利(自身の意見を発言する議員としての当然の機会)すら奪われるという「名ばかり委員長」としての非力さと情けなさを痛切に感じさせられる場面が今回もありました。
役職や体面や時間という本質から掛け離れた表層の部分にコダワリを持った生き方は私は絶対に選択できません。「一体全体、何の為誰の為の委員長なのか意味が判らない」という遣る瀬無い思いを募らせましたが、この時代に生かされていること、そして、こうして議員として活動させていただいていることを天命だと信じ、初心を忘れることなく、自分の信じた道を真っ直ぐに歩いて行きたいと思います。