2008年12月06日

回りを変えたいなら、自分が変わること(その弐)

下記は、11/16(日)の【ちば地域議員フォーラム】を終えての振り返りで、私が参加している「がんばろう、日本!」国民協議会の機関紙「日本再生355号(2008/12/1発行)の地方議員コラム「一灯照隅」に掲載された生記事(編集される前の記事)です。原稿が6000字を超える長文のため、分割して掲載させていただきます。

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回りを変えたいなら、自分が変わること(その弐)
〜11/16フォーラムを終えての気付き〜

後半のパネル・ディスカッションの一巡目で、窪田同人からは「陳情の可決に伴う予算の計上に対する議員の認識の甘さと、閉会中の継続審査による結論の先送りの問題」について、幸正同人からは「議員定数問題をめぐる市民との意見交換の土壌作りについて、決定機関としての議会の重要性」について、泉同人からは「全会一致で当初予算案を否決した議会の内実と、27人中1人の議員に一体何が出来るのかということを痛感していると共に、(越谷の運動を聞き及び)議員一人ひとりがどんな運動を市民と共にしていくことが出来るのかについて課題認識をもっていること」について、最後に私から「予算審査・決算審査という非常に重要な審査において、殆ど質問しない(実質的に職務放棄している)議員がいることが常態化してしまっている問題とそのことを知らない市民、そして、前市長時代(福嶋浩彦同人)とは打って変わって緊張感がなくなってしまった議会の現状」について報告いたしました。

二巡目の冒頭に白川同人から「議会を活性化する究極の源泉は、主権在民(バッジをつけない主権者の知恵と工夫をどうするか)にある。分権や住民自治の流れは止められない。市民に議会が見えるようにする工夫が必要。一人で頑張るのは大前提だが、今ある議会の仕組み・申し合わせ事項を活かしたり、共通の課題で市民と何かをやるという行動は出来るはず。その工夫や知恵がわかる議員が一人でもいれば、議会はもっと見えるようになる。このことをもっと前面に出して行動して欲しい。」とのコメントがありました。

(以下、発言順に記載)
窪田;
12月議会から「議員定数」について考えることになっている。議会が市民の意見を徴収する、意見交換をする場を設けようと提案している。しかし、うまく行くかどうか判らない。「定数削減」が(近隣他市や同規模自治体と)横並びというのではこんなに恥ずかしいことはない。本質的な議論抜きの数合わせでは議会改革をしたことにはならない。

墓地開発の関係で、請願の紹介議員になりそうなことになったが、他の議員からの圧力で陳情となった案件がある。しかし、一年間継続審査扱いとされ、議会と議会の間に実質的な審査はされず採決はたな晒しとなり、採決した時には工事が始まってしまい、結果的に墓地開発されてしまったという事案がある。市民の皆さんにもチェックしていただかないといけないと感じている。こうしたことは変えて行きたい。これが同人としての私の役割だと認識している。

幸正;
柔軟な委員会運営(暫時休憩をとり自由討議を行う)により、少数意見の汲み上げを行い、付帯意見決議をつけて全員一致で賛成に持ち込んだことがある。

白川;
休憩中のやり取りは、自由討議の第一歩。出来ることから始めないと高い目標にはたどり着けない。こうした工夫と知恵を働かせるべき。この積み重ねが議会を市民の皆さんに可視化していくことにつながっていくのではないか。

泉;
市民運動とリンクした「仕掛けづくり」が課題だと認識している。右肩下がりの自治体経営の中で「何をあきらめていくのかの優先順位付け」は首長が単独で行っていくのではなく、市民の皆さんを交えた中で議論していかなければならない。

久野;
議会と行政の間に緊張感が有った理由は、前市長の政治手法・理念に多分にあったと感じている。財政的な厳しさを迎える中で、市の最高執行責任者である現市長はどのような舵取りをしていくか決断しかねている。こうした状況下で二元代表制の一翼を担う機関である議会が機能しないと、まちは方向性を見失っていく。議会として何も決められない、先送りをする、どうしていくべきかという方向性も提示しない(陳情の継続などはその一例)では「議会は機能停止している(不用である)」と言われても否定できない状況にあると感じている。

しかし。議会と行政だけでまちが構成されているわけではない。市民がいてはじめてまちは成り立っている。相互の連動・市民の力が非常に重要だと認識している。
インターネット中継や採決状況の公開等、仕組みとしての制度改革は比較的進んではいるが、それが活かし切れているかといえば、そうではないと感じている。「制度・人・定数」が変わっても、それだけでは本質的な部分は変わらないと率直に感じている。

白川;
個人としてではなく、議会として動くこと。越谷では、桜井地区の超党派の議員で連合自治会向けに報告会を行っている。議会が「意思」をもった時、行政(執行部)は危機意識を覚える。行政にとって議員はバラバラの方が扱いやすく、どんなに追及の厳しい議員であったとしても、一人であれば対応は出来る。所詮、陳情の域を超えないということ。このことを市民のみなさんが受け止めれば、議会を使いこなすことの意義に気付く。一票を投じた議員を通じて議会を使いこなすことによって、地域をどのように変えるか。もちろん、(二元代表制のもう一方の)市長も使いこなさなければならない。だからマネジメントが必要なのである。

したがって、議会は市長のマニフェストを点検・検証すると同時に、議会としての政策・条例を作っていく。そこに主権者たちが絡んでいく。という小さき工夫から出発する。課題や障害が見えていて何かやることと、見えていなくて(やみくもに)やることは違う。

この後に行われた会場からの質問では、「議会への傍聴を求めるならば、議員も市民が参加する審議会等を傍聴すべきではないか。市民との対話の中で意見を表明すべきではないか。」「我孫子市議会が進んでいるという自負心があるかもしれないが疑問がある。一番腹立たしく思うのは、(市内議員の)ブログなどを見ていると自画自賛的で選挙目当ての内容に感じる。議員はもっとプロ意識を持って冷静に情報を提供するよう努力して欲しい。」「それぞれの議会で同じような課題を抱え、どうしたら良いか判らない、主権者と議員との関係が中々構築できないということは判った。自分のまちの議会においても同じことが起こっている。厳しい言い方かもしれないが、その方法がわからなければ議員をやっている意味はないのではないか。方法がわかるまで“下野”したらどうか。

議員を使いこなせる力を主権者としてつけなければならないと考え、我々は“チーム”として向き合う事を決めた。主権者との関係を深める努力を何故しないのか。主権者と向き合うことが出来ずに、議会をマネジメントできるわけがないではないか。“何をあきらめるか”を考える以前に、力の源泉となる主権者とどのような関係を構築するのかを考えるべきではないか。」というご意見をいただきました。

最後に、白川さんから一言。
「議員個人としての活動はあくまでも議員個人の活動。議会で政策を実現する為には、市長との関係を考えなければならない。議会の多数派形成が必要。問題意識が共有されているのかということが問われている。ハードルは高いが、それをやらないと変わらない。“議会を変えていくとはどういうことか”についての共通認識を持てるような討議が行われているか。どのような工夫がなされているかということ。」
この後、布施健太郎同人(千葉県議)、花崎広毅同人(千葉県議)からコメントをいただいた後、戸田代表から集約コメントをいただきました。
posted by 久野晋作 at 01:26| 千葉 ☔| ◎市政報告会◎ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする