先々週、先週と8時まで審査していた決算審査特別委員会。
ここ最近になく、議論が白熱しています。
しかし、「長い審査時間・長い質問」について批判的な物言いをされている人がいらっしゃるようです。行政の中にも、また、議会の中にもいるようです。議会の内外で、市長をはじめとして、耳を疑うような発言を公然としている方もいらっしゃいます。
委員会は「一問一答」を旨として運営するという「申し合わせ」の下、進められていきますが、この申し合わせを厳密に守っている人は殆どいません。質問の主旨を正確に伝えるためには、一定の発言量は「時」に必要になります。
とはいえ、委員会(質疑)の場ですから「演説の場」ではないと思います。
要はバランス(メリハリ)の問題だと私は理解しています。
議員が厳密に一問一答を守っているのは、5分間一本勝負の「委員外質問」の時くらいでしょう。議事録をみれば一目瞭然です。ちなみに、私は平成19年度予算案(今回の決算審査の対象となっている予算案)の時に委員外質問を行わせて頂きました(こちら)。
■誰の代弁者なのか?
「長い質問」は誰の為か?
⇒他でもない市民のためであり、市の将来の為です。
「議会は誰の為に存在するのか?」
⇒他でもない市民のためであり、市の将来の為です。
「議員は誰の代弁者なのか?」
⇒答えはいうまでもありません。
■
決算審査とは、「毎会計年度一般・特別会計歳入歳出決算、また予算の執行、事業の経営が適法、公正(適正)かつ効率的に行われているか、その結果として予算が期待する効果があったかどうか」について審査するものですが、審査の真の目的は「新年度の予算編成に活かすこと」だと私は理解しています。
■
改選後から一年経っていませんが、最近の議会は、質問数や審議時間が激減しました。このことは議事録をみれば明らかです。問われるべきは「中身」であり、「時間」ではないことは言うまでもありませんし、「質問すれば良い」というものではありません。
しかし、議会は「市長の追認機関」でもなければ、ましてや「諮問機関」でも「陳情機関」でもないのです。議会は「審査機関であり、議決機関」なのですから、確認すべき点はキチンと確認していかなければなりません。
此処の所をよく理解せずに、批判をする人が議会内外にいるようです。
議事機関であれ行政機関であれ、自らの立ち位置を履き違えてはいけません。
キチンと弁(わき)えなければならないと私は思います。
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以下は、6月議会閉会時のブログ記事です。
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■気になっていること。
ここ最近気になっているのは、議場や委員会室内に漂う「緊張感のなさ」です。良い意味での「ピリピリ感」がありません。丁々発止のやり取りをすることが常に正しいとは思いませんが、市民の皆さんの信任をいただいて議席をいただいている以上、執行部と議会の間では「馴れ合い・持たれ合い・安易な妥協」は許されないと思います。
■下記は昨年3月の一般質問の冒頭の言葉です。
星野市長を迎えるに当たって一言申し上げます。星野市長、このたびは御当選まことにおめでとうございました。鳥取県の片山知事がとある講演で、二元代表制の首長と議会が車の両輪であってはならないとお話しになったそうです。それは、夕張市を見れば明らかである。首長と議会がいつも同じ方向を同じスピードで走り続けてしまった結果、あのような財政破綻を招いたという意味です。
ちなみに、その責任が放漫経営をした市長、それをチェックできなかった議会にあることは言うまでもありませんが、漫然と彼らを選んできた夕張市民にも責任の一たんがあることを忘れてはならないと思います。
予算編成権と予算執行権という強大な権限を持つ市長を車のエンジンと例えるなら、議会は総体として時にブレーキの役割、時に市長の政策を加速させるターボの役割を、そして市長の方向性に疑問を感じれば、ハンドルを切り、方向修正を行う役割を果たすべきだと私は感じています。
市長は就任時の記者会見で、議員とは本音で話し合う姿勢でやっていくとお話しになったようですが、私も同感です。議会と市長はいたずらに対立し合うのではなく、本来の意味で牽制し合い、市政の向上に資するべきだと思っています。私は、市長とは真に是々非々の関係でありたいと思っています。
■下記は同じく昨年12月のものです。
「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スヘシ」、これは明治新政府の掲げた五箇条の御誓文の第1条です。今後国民が望もうが望むまいが、地方分権はますます進んでいきます。そのときに議会と市長による二元代表制度が真に確立されていなければ、地域主権は確立しません。また、その地域の統治構造はゆがんだものになってしまいます。
議会と市長の2つの機関の本来あるべき関係とは、互いが互いをチェックし、地域課題の解決のため、また市民利益の実現のため、建設的かつ緊張感のある議論を行うことであり、二元代表制度下の地方議会において、与党だの野党だのという意識は全く無意味なものと言えます。
この意味においても、形式的な議会改革を行うのではなく、議論の活性化や議会の信頼回復のための議会改革が必要であり、私はその実現に尽力したいと考えています。
■
私たち議員は、市長をトップとする行政機関とは「対峙」する機関であって、いつも同じ方向を進む車の両輪ではありません。「うまくやる。」とか「仲良くやる。」のが、議会(議員)と行政(市長以下職員)との「あるべき関係(良好な関係)」だとは思いません。
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