懸念していた「トイレット・イマージェンシー(十八番の緊急事態)」が見事に炸裂し、二日連続「ゴロゴロ…」の朝を迎える羽目となり、厳しい展開になりました…。
テントサイトから仮設トイレまで歩いて5分。切ない朝です…。
言い忘れていましたが、川口町は被災地の中で、もっともインフラの復旧が遅れています。震災が起こってから、二週間半が経とうとしている中、ガスはおろか、水すら復旧していません。電気のみ使用可という状況なのです。
つまり、お風呂や水洗トイレが使えません。
炊き出しや物資関連を除けば、まさに、キャンプ生活そのものです。
自衛隊が河川敷に設営された臨時のお風呂に、連日入れる人はそうはいません。
むしろ、そのニーズは高く、今は、ボランティアによる送迎で急場を凌いでいますが、早期の復旧が望まれる所です。
日々の生活が、いかに恵まれているかを思い知らされます。
今日は、必死の勧誘が功を奏し、来週以降も出来る方が何人か見えられました♪中心的に活動されていた方の大半が、今日で最後どなりましたので、リーダー共々、ホッと一安心しています。
でも、別れは寂しいものです。名残惜しい限りでしたが、再会を約束してお別れです…。「出会いがあれば、別れもある。」良い方達との出会いに恵まれ、共に活動出来て本当によかったです。
本日は、業務も落ち着いてきた事から、午後2時過ぎより、リーダーに無理を言って、小千谷市のボランティアセンターを訪問させて頂きましたが、表題は、小千谷市と川口町の、「余りの格差」を表したものです。
テレビによく出てくる立派な体育館があるのが小千谷市です。
画面には映りませんが、あのトイ面には大きなスーパーがあります。今や、食料から酒類まで、殆どのものが何等問題なく揃います。
かたや、隣町の川口町はどうかといえは「陸の孤島」とも言えるような状況で、町の中だけで自己完結するのは不可能です。
物資、インフラ含め、センターへの支援体制等、雲泥の差を感じた次第です。
山間部にある川口町にとって、雪が降るまでが勝負で、まさに時間との戦いです。私は総力を挙げて、川口町を支援する体制の構築を「(一向に、姿の見えてこない)行政」が、きちんと担うべきだと感じています。
実際問題、無理だという話を聞きますが、本当に無理なのでしょうか?
初日に町役場を訪れた私には、直感ですが、そうは感じられません。
ボランティアには、限界があります。
背負わされている期待と責任が、既にキャパを超えています。
何を悠長に対処しているのか?私には理解不能です。
ボランティアは使い捨てカイロではありません。
このままでは、「二次災害」が起こるのは時間の問題です。
倒壊している家屋が多い中心街の「外での作業」という事で現場に出向いてみると、家の中の作業を手伝うことになった。しかも、「赤紙」の張られた家だった。ヘルメットなしで…。これは笑えない話です。
既に、心労や疲労から、倒れているスタッフやボランティアが居ます。
事故が起こってからでは、遅いのです。
健気に、必死に頑張っているボランティア&スタッフを見ていると胸が痛くなります。
出来ることならば、「出るところ」に出て、物申したい…。有名なあの台詞を。
「事件は会議室で起こってるんじゃない。現場で起こってるんだ!」
と。
センターに行政職員が入れば、すぐに判ることです。何の支援も、主体的な連携もせず、一体、いつまで、どこまでボランティアにやらせるツモリですか?
「だったら、来なければ良いし、やらなければ良いだろう。」
そう思われるかもしれませんが、そんな問題ではないんです。
実際に、(気付かずに)体と命を張って、作業に従事している現実があるのです。
身を粉にして、朝早くから夜遅くまで活動し続けて、この季節に吹き曝しの河川敷で寝泊りをしているスタッフが数多くいるのです。
「志願して、好きで入っているんだから良いじゃないか。」
そう言われるかも知れませんし、そのような考えがあるのでしょう。
でも、それで良いのでしょうか?
「見て見ぬふりをしていて、本当に良いんですか?」と、私は問いたいのです。
使い捨てカイロじゃないんですよ。ボランティアは。
唯一無二の心と体を持った、一人の人間なんです。