2020年04月11日

平時は何も示さず、すべては非常事態に明らかになる(カール・シュミット)

平時は何も示さず、すべては非常事態に明らかになる

Das Normale beweist nichts,
die Ausnahme beweist alles.

カール・シュミット

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いやはや至言

非常時には、様々な事柄が露呈する。

醜さも、愚かさも、足りなさも、何もかも。
“平時のグローバリズム推進はどこへやら、各国政府が自国民を守るため、国境を閉鎖し、マスクを奪いあう、国家エゴむき出しの状況となっている”



最後に頼るべきは「たとえ、どんなに腐っていたとしても国家である」と言うことを、痛感させられる。

「オラが村さえよけりゃいい」というような、行きすぎたナショナリズムは望むべくもないことであり、避けるべきことながら、国境の意味と意義、国民国家の重要性をマザマザと痛感させられる。

このことは、私たちに身近な地方自治(市民サービスを提供する市町村などの基礎自治体)の世界に目を転じても、類似したことが言える。

危機時ほど【自治体の力量】と【リーダーシップ】が問われ、そして、危機時ほど【地頭(じあたま)】の有無と程度が厳しく問われ、それに呼応する市民(県民)意識や行動も厳しく問われる…。
【じあたま】…大学などでの教育で与えられたのでない、その人本来の頭のよさ。一般に知識の多寡でなく、論理的思考力やコミュニケーション能力…のこと。

次々に降りかかってくる新しい課題に対し未だ正解はなく、右往左往させられているのが正直なところでありながら、そんな中でも、待ったなしの中で市民サービスの最前線で活動している自治体の現場から、「様々な妙案」や「瓢箪から駒」と言えるようなアイディア・実践例などが其処彼処で発出している。



昨日、東京都が発表した休業補償など、自治体の体力差(財政力の差)によって、自治体が出来ることと出来ないことは確かにあるが、自治体サービス手法に「特許」は基本的にない(そんなことを悠長にしている暇はない)ので、「お隣ご近所、これは妙案」は、大いに共有し、ブラッシュアップして行けばよい。

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日々「ことさら強調して報道される感染者数」だけに目を奪われていると、肝腎要の大切なことを見失うことが少なくない。

だから、「冷静に、落ち着いて、考えること、行動することが厳しく求められていることを決して忘れてはならない」と言い聞かせる。

そして、今まで当たり前に感じてきた「何気ない日常」がどんなに有り難かったことなのか?を痛感させられる。

毎日当たり前に登ってくる朝陽の眩しさにも有り難さを覚え、マジックアワーの夕陽や、夜空に瞬く星座にも感動すら覚えたりする。
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家族の大切さ、ご近所の有り難さ、当たり前に提供されてきた学校教育の有り難さ、給食の有り難さ、マスクの大切さも、健康の大切さも…何もかも。

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大学時代の必修・第2外国語がドイツ語…だったり…しますが、それはさておき

この記事は読者限定記事となっているため、すべて閲覧はできない方も多いと思いますが、朝一番にこの記事を拝見して、ふと思ったことを忘れないように記しました。

奪い合えば足りないけれども、
分け合えばあまり、行き届く

知恵も勇気は無限であり、
出し合えば、相乗効果が生まれる

心を重ね、力を合わせ頑張りましょう。


#コロナに負けない
#エゴにも負けない







posted by 久野晋作 at 20:08| 千葉 ☀| 林塾・哲学・思想・政治信条・世界観 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする