「我が国の建国を祝う日」ですが、初代天皇である神武天皇が橿原宮で即位された日を祝う日です。
明治6年(1873年)に、紀元節と定められましたが、第二次世界大戦後(敗戦後)の昭和23年(1948年)にGHQの意向で廃止されてしまいました。その後、復活の機運が高まり、「建国記念の日」として昭和41年(1966年)に国民の祝日となり、翌年から適用されました。
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本日は、日の出から日の入までの一日、じっくりと「自身と対話」をした1日となりました。
自身が日本人であること、そして先人への感謝の念を強くすると共に、今を生き、今我が国に生かされている我々が「取り戻すべきもの」を確りと確認した1日でもありました😊
◯林英臣政経塾・朝稽古における「神武天皇 橿原奠都の詔」の素読
◯明治神宮参拝および境内でのマーチング奉納
http://www.meijijingu.or.jp/news/180201.html
◯建国記念の日 奉祝中央式典(於:明治神宮会館)に参加
http://kenkoku.web.fc2.com/sikiten.htm
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奉祝中央式典における、閉会の辞のご挨拶中、ハラハラと頬を涙が伝いました。
明治元年(1868年)3月14日、明治天皇が天地神明に誓約する形式で公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針であり、国是でもあった『五箇条の御誓文』
その第1条「広ク会議ヲ興シ万機公論二決スベシ」にあるとおり、民主主義は受け売りのものでは一切ないこと。これは非常に大切な点です。
さらに遡れば、聖徳太子がまとめた「17条憲法」に、こうあります。
一に曰く、和(やわらぎ)を以て貴しと為し、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。人皆党(たむら)有り、また達(さと)れる者は少なし。或いは君父(くんぷ)に順(したがわ)ず、乍(また)隣里(りんり)に違う。然れども、上(かみ)和(やわら)ぎ下(しも)睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、すなわち事理おのずから通ず。何事か成らざらん。
十七に曰く、夫れ事独り断むべからず。必ず衆(もろもろ)とともに宜しく論(あげつら)ふべし。
そして。2678年前、我がクニの原点である「神武天皇橿原宮奠都の詔」の中(奈良時代にせいりかした我が国の正史である『日本書紀』 巻第三)に、以下のとおり記述されています。
それ大人(ひじり)の制(のり)を立つ。義(ことわり)かならず時に随ふ。苟(いやし)くも民に利(かが)有らば、何ぞ聖(ひじり)の造(わざ)に妨(たが)はむ。
たかだか戦後の70有余年そこらで、我が国の評価は決まるものではないこと。
敗戦の焼け野原の中、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって、奪われ、書き換えられ、捻じ曲げられ、歪められた「我が国の大切なもの」を必ず取り戻し、日本の心を整え直すこと。
強く強く胸に刻みたいと存じます。