本日付の「広報あびこ」は、ご覧いただけたでしょうか?
3面に悲願?の
「防災特集」が掲載されています。編集に携わって下さった職員の皆様には厚く御礼申し上げます(勿論、私が騒ぐまでも無く、特集を組む予定だったようです…よね?)⇒
以前の日記参照
「おぉ…。やっと載ったか(^ー^* )」「これで、少しは市民の防災意識の高揚&避難場所の再確認等に繋がるかな?うんうん…。」などど、悦に入りながら、呑気に朝食を食べていた私でしたが、記事を読み進めていくと、さり気無く?載っていた、とある内容に目が釘付けになり、慌てふためきましました。
( ̄□ ̄;)!!
既に「庁舎内に3箇所、および各支所に新潟県中越大震災の義援金募金箱を設置している」との記事があるではありませんか!
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午前中の用事を済ませ、市役所に立ち寄ってみるとありました…。確かに。

本日(12/1)各部署で確認した所、11/9(火)に、庁舎内に3箇所、および各支所に設置してい「た」とのことでした。という事で、昨日の記載箇所には
○○○とさせて頂きました。
その事に気付かなかったことを、この場を借りてお詫びいたします。
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11/9といえば…。
私が、新潟に行った日に設置したとのことで、騒いだ甲斐があったのかな?と、一瞬思いましたし、素直に、設置&管理の労に深く感謝する次第です。
しかし、残念ながら、私が盛んに訴えていた、本質的な部分を理解していただけなかったと感じました。
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こちらに戻ってから、設置場所を何度も通っていますが、気付きません。というか、気付けないくらいPR度が低いのです。何だか、いちゃもんつけているようで、いい加減、「粗探しの好きな煙たい輩」と、認識されてしまいそうですが、現場を確認して、そう感じました。

「こ、これじゃ、判んないよ…

」
設置されている各課の担当の方に、軽くヒアリングしてみても、いつから設置されているのか即答された方は居なかった位です。そんな存在感なんです。この募金箱…(⇒設置された方&担当課の方を攻める意味合いは一切ありません。念の為、付記)そこで、「どうせやるなら、もっと判るようにしませんか?」と、その事を指摘させていただきました。
結果、図らずや、某協議会の方にその役務が回ってしまったようで、それこそ恐縮しましたが、明日からはきっと、アッピール度の増した掲示が添えられると思います。
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何度も言いますが、金額の多寡とか、設置する事に意義を見出そうとしている訳ではありません。違うんです。ホントに。
確かに、いざという時に頼りになるのはお金です。その事は否定しようもありませんし、無い袖触れないような状況に陥り始めている「市の財政状況」を鑑みても、肌身に染みて感じます。
私が言いたいのは、
募金箱を設置をする事で、それを目にした方が、「何かしらかの意識をもつ」またとない【キッカケ】になるのではないか?ということなのです。
昨日の日記で、
「感度が悪い、民度が低い」市民であり、市であると思われるのは心外です。と、かなり刺激的な発言をしましたが、その意味合い「も」あります。なすべき事をしない自治体が、いざという時に助けられるとは思えません。
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これは、当市の意識の端的な「現れ」の一つなのです。
誤解を恐れずに言えば、お金を入れようが入れまいが、それは大きな問題ではありません。「入れようと思う方が入れればいい」のであって、言わずもがなの事です。無理をしてまで募金をする必要もありませんし、ましてや、強制する事などあってはなりません。
この機を逃していつやるの?という「気付き」の問題です。
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